2012年2月1日水曜日

【北九州短編集】 木屋瀬川合戦 (1/3)

【北九州短編集 参加作】

木屋瀬川合戦

あやまり堂


 北九州市域の西端に、遠賀川という川がある。
 九州で唯一、鮭が遡上する一級河川であって、
 古くは筑豊の炭鉱から大量の石炭を運ぶ重要な川であった。
 ほとりに成立した宿場名により、木屋瀬(こやのせ)川ともいう。
 木屋瀬の宿は、現在でこそ北九州市外れの、さびれた古い町に過ぎないが、
 近代までは、遠賀川の水路と、長崎、赤間両街道の要衝として、たいへんに賑わっていた。

 木屋瀬川に、ひとつの奇譚がある。
 明治時代、村上昇平という人物によって書かれた「逆鱗余聞」という小説である。
 この小説によれば、百万匹を超える海の魚と川の魚とが、この木屋瀬川において、
 激しくもむなしい戦争に及んだというのである。

 ことの起りは、ある婚礼話であった。
 肥前の国、平戸沖に住む鯨入道味善(あじよし)は、西海の覇者として長く周辺海洋に君臨していたが、
 寄る年波に危機感を覚えてある年の正月、衆望のある次男、鯛の源八郎味高(あじたか)に嫁をとり、
 跡目を相続させる旨、一同に披露した。
 むろん、西海の覇者の子息の婚礼であるから、政略結婚である。

「どこかに息子の嫁にふさわしい娘はおらぬものか」
 と尋ねる鯨入道に、入道家の執権、鱸(すずき)左衛門成善(なりよし)が進み出て、

「以前それがしが木屋瀬川を遡り、鞍手郡の寺院に参詣した折、たいへん麗しい姫君を拝見しました。
 御名を尋ねれば、木屋瀬川の将軍、鯉の鰭高(ひれたか)公のご息女、鮎姫さまとのこと。
 御身内である海魚の中よりご子息の嫁御を取れば、
 外戚だ、一族の専横だのと、要らぬ紛擾が出来るは必定。
 ここは大殿の勢力拡大のためにも、新たに、川の者と手を結ばれるが最善と存じます」

 と、要するに執権たる鱸家に強敵をつくらぬための献策を行って、
 認められるや勇躍して木屋瀬川を遡上、鯉の将軍家へ婚礼について談じ込めば、
「小川育ちの姫魚が、千尋の海の妻女となるか。たいそうな出世だ」
 と、将軍もこの政略結婚を喜んで、嫁入り道具の手配に饗応の支度と、話はとんとん拍子に進んだ。

 ところが、当の鮎姫は承知しない。
「なぜ私が、そんな身も知らぬ者のところへ、まして海などへ嫁に参らねばならないのですか」
 と、側近の鰻之介に不満を漏らせば、鰻之介にもひそかな思慕の心があったから、
 姫様を必死に掻き口説いて、
「ともに逃れ出ましょう」
「まことですか。実は、私も以前からおまえのことが」
 と、語り合った鮎姫と鰻之介は、ある夜ひそかに駆け落ちしてしまった。


(つづく)


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