2012年2月25日土曜日

きみがはじめて恋をするとき、色とりどりの光の乱舞を見るだろう

 耳の奥にへたくそなハーモニカの音がこびりついている。
 僕と三島くんの出会いは幼稚園にまでさかのぼる。僕は幼稚園児の時から社交性に乏しかった。
 一人砂場でダムを造っていた僕に猫除けの網を投げつけ、ドロップキックしてきた元気のよい男の子が三島くんだった。
 三島くんは当時としてはとても珍しいストロングスタイルのいじめっ子だった。気にくわなければ殴るし、特に理由がなくても蹴る。
 三島くんとのつきあいは、二十年の長きにも渡ったわけだけれども、なぜ彼が僕に目をつけたのかは今もよくわからない。
 三島くんのいじめスタイルは、「こいつは俺だけのオモチャ」型だった。
 そんなわけで、ずいぶんひどい目に遭わされたけれど、僕は三島くん以外の人間のいじめられたことがない。
 殴られたの蹴られたりだのは、三島くんを見返したくて始めた実践空手の道場でさんざん経験した。
 僕も三島くんも、この地域の平均より少しだけ下の世帯収入の家の子だった。わかりやすくいえばはっきりと貧乏ということだ。
 僕はぼんやりと生きて、中学を卒業するまで人を好きになったことがなかった。僕も男だから頭の芯がじんじんとしびれるような欲望は起きている時間のほとんどは感じ続けていたけれど、それと恋を間違えるほど僕の頭は鈍っちゃいなかった。当時はね。
 三島くんは、僕よりも速く頭の芯の痺れが、脳みそ全体に及んでしまった。
 可哀想に、中学生の三島くんは恋を知ってしまった。相手はブラスバンド部に籍を置く犬童(いんどう)さんだった。イヌという時が入っている姓だったけれど、全体的な印象は猫っぽかったと思う。結局僕は彼女とは一度も話さないままだったから性格については保証できないけれど。
 僕たちの通う公立中学校のブラスバンド部は、もちろん楽器の貸し出しを行っていた。けれど、僕も三島くんも金管楽器のビカビカが怖くて近づけなかった。当時の僕たちは、カラス並みだった。
 けれども、三島くんは勇気を出した。彼は、家から手垢やホコリでスモークグレーになったハーモニカを持ってきたのだ。「ブルースハープっていうんだ、ドイツ産だぜ」などと三島くんはいっていた。
 ブラスバンド部の主な活動場所は後者の西端。僕たちの通っていた中学校の校舎には両端に避難用の外階段が備え付けられていた。
 三島くんは二階と三階のあいだの踊り場で孤独にラブソングを送り続けた。
 ブラスバンド部からしてみれば、開いた窓の外から調子外れな童謡なんかが聞こえてくるのだから堪ったものではないだろう。
 外階段の下でしゃがんでいると階段を下りてくる女子のスカートの中身がちらりとのぞくことがあるのを気づいた僕は、そんな三島くんを地上から応援していた。ちなみに中学の僕は点から降り注ぐ色とりどりの光の乱舞を心から堪能したとだけいっておこう。
 ……どういうわけか三島くんは自信に満ちあふれていた。力一杯ハーモニカを吹くものだから、地上の僕までその音色が届いてきたものだ。
 三島くんの恋の行方については言わずもがな。基本的に暴力的で傲岸不遜で、自分の家のことを馬鹿にする人間を力で押さえてきた三島くんの失恋はあっという間に全校中に知れ渡った。
 当時は誰もがそれを笑い話にした。
 けれど今日、その話をする三島くんの家族の顔には懐かしむような優しい笑みが浮かんでいる。
 東京で、通り魔から他人を守ろうとして巻き添えを食って三島くんは死んだ。
 ちょうど三年前の今日のことだ。僕のポケットには、熱にあぶられ元がなんだったのかわからないほど変形した金属のかたまりがある。
 HOHNER社のブルースハープの共鳴板。
 火葬される直前の三島くんの手に強引に握らせたせいか、普通なら溶けて流れてしまうはずのものが残ってしまったのだ。
 僕は、三島くんの家族の目を盗んでちっぽけな金属のかたまりを喪服のポケットに滑り込ませたのだ。普通なら親族しか列席しないお骨上げの席に僕がいたのは、三島くんの友達は僕だけで、僕の友達も彼だけだったからだ。
 たった一人だけの僕の友達の、誇るべき最初の失恋の証。
 それを僕はまだ捨てられないでいる。

1 件のコメント:

ひやとい さんのコメント...

うまっすねえ。
実体験要素いっぱいでしょう?でなきゃこんなリアルさはなかなか出せません。そうじゃなかったら、ただ恐れ入りましたというだけです。