2012年2月25日土曜日

不可捨(すつべからず)

クイックバトル参加作

あやまり堂


結論を言えば、僕はそれをまだ捨てられないでいる。
けれどそれを捨てなくちゃいけないことは、よくよく知っている。

捨てなくちゃ、僕はきっと、このままずるずると、
中学や高校生の当時と同じ幼稚さで、これからの人生を送ることになるだろう。

夢とか、恋の思い出とか、僕の童貞とか。

要するに、そういった「無知だったころに抱いていた憧れ」の数々を、
一つずつ捨てて行くことで、人は大人になって行くのだろう。
現実を知って、自分の才能の限界を弁えて、分相応に生きて行く。

ほどほどの会社に就職して、全然おもしろくない仕事を
与えられるまま、こなしながら、
感動することもない、といって嘆くほどでもない程度の収入を得て、
ささやかな人生を歩んで行く……そこで、きっと、夢なんて捨てきることができる。

宇宙飛行士になるという夢は、とっくに、中学で、理科と数学が出来なかった頃に捨てた。
部活で打ち込んだ、水泳の国体選手とか(それさえオリンピックという夢を捨てた後だ)、
あとは漫画家になることとか、歌手とかバンドとか詩人とか小説家とか。

そういった夢を全部捨てて会社に所属、数年経って、
同僚が企画する合コンか、大学同窓会とか地元自治体の企画するお見合いパーティか何かで、
かわいいところもある、という程度の女性と知り合うだろう。
そこで相手も同じような感想を僕に対して抱きつつも、とりあえず流れで交際することになり、
相手の三十歳の壁か何かで結婚が決り、
やがてラブホテルで少しの軽蔑を浴びつつ(というのも、きっと僕は緊張で失敗するからだ)、
とにかくセックスして童貞を捨てるだろう。

それでその時になれば、昔の恋の記憶なんて全然、どこかへ捨て去っているはずだし、
とにかく、そんなふうにして、僕はひとつひとつ捨てながら、
「自分自身の人生」を見つけることになるのだろう。
だから、そういう「幼稚な憧憬」というようなものは、
順番に、一つずつ、時にはまとめて、捨てる。
捨てなきゃこの社会の大人として生きて行けない。


ところで――。

奈良には今も、大安寺という古い寺がある。
南都七大寺に数えられ、奈良時代には興福寺と並び称されたほどの大きな寺である。

だが都が平安京に移ってからは振わず、火災などに遭うなどしてさびれていた。
しかし、さかのぼれは「大官大寺」や聖徳太子の時代にまでつながるような、
伝統ある大寺であることは事実だ。
そのため、寺では都が遠くなってからも有力貴族を味方につけようと様々に働き、
寛弘四年(1007年)には御堂関白こと、藤原道長を寺へ招くことに成功している。

だがそれも、十年後の寛仁元年(1017年)、大火によって伽藍を全焼させ、
以後は見る影もなくなってしまったのである。

「これではいけない」

というので、名は残っていないが数代に渡って時々の別当や僧住たちが駆け回り、
時には唯一焼け残った本尊の釈迦如来像を持ち出すなどして、各方面で寄進を募ること数十年、
永久四年(1116年)までには、
何とか金堂、回廊、重塔さらに鐘楼などを再建することに成功するのである。

だが。

この永久当時の別当が、私利私欲にきたない男だったからいけない。
せっかく、娘を都の蔵人の妻にすることにも成功したのに、
「寄進された品々を着服しているのではないか?」
と勘づかれて、結局、蔵人との関係が破談、
ついに、往事の威勢を取り戻すところまではできなかったのである。
今もその伝統の割に、知る人はそれほど多くない。
すくなくとも興福寺や、東大寺ほどに、奈良の寺として名を売ることはできなかった。
無残な話である。

……。

まったく関係ない話を書いていた。

僕はこの大安寺の話を、いつか小説にしようと思って、資料を集めて、
ある程度の構想までまとめていたのだけれど、
やっぱりどうしてもうまく小説にするところまでできていなかった。

要するにこの構想もまた、僕は捨てることができないでいる。
今も。

そしてたぶん明日も明後日も、僕はずっと、全然捨てられないでいるだろう。



(了)

2 件のコメント:

ひやとい さんのコメント...

あるぇーあやまり堂さんも末尾文章じゃなかったのねえ。

内向系っすね。
作中、別の話を展開させてグルーヴを生み出すところはさすがと思いました。

あやまり堂 さんのコメント...

内向、追憶のたぐいは、大しておもしろくできないので、あの結末で、どうやってそれを打破するかを考えておりましたー。