祖父の繁(しげる)は、予想外に鋭い眼差しをしている。
勇太は見咎められたような気がして、伸ばした手を引っ込めた。
繁は枯れた人差し指を立て、それを振りながら言った。
「その本は一家にとって大事な物だ……」
唇を湿らせて、さらに続ける。
「……いや、一族にとって、いや、それ以上に重要な物だ。もう残り少なくなってしまったが」
祖父の言葉は、この本が減っていくと言っているのだろうか?
どうも意味が分からない。
だが、祖父の目付きと口調から、勇太は自分が責められているのを感じた。
「ごめんよ、じいちゃん……」
訳が分からないながらも、勇太はとりあえず謝る。
一端、この場から離れた方がよさそうだ。
勇太は納戸から出ようとした。
そこへ繁が、行く手をさえぎるように立つ。
これでは納戸から外へ出られない。
祖父の思惑をつかみかねて、勇太は途惑った。
「じいちゃん……?」
勇太より頭一つ分背の低い繁は、真正面を睨んでいた。
勇太の顔も見ずに、決然とした声で断定する。
「その本を見つけたということは、今、呼ばれたということだ」
それからぎょろりと眼球を動かして、勇太の目を見て続ける。
「勝つ者もいれば、負ける者もいる。おまえはどっちだ、勇太!」
目は血走り、顔が強張っていた。
普段は温和な祖父の変わりように、勇太は口もきけなくなった。
慄き、立ちすくんでいると、ガラスの割れる音がした。
首を巡らせれば、音の源は例の額縁だった。
『James・J・James』の古本を納めた額縁がカタカタと震えている。
見ている間にもガラス製のダストカバーに、細かい亀裂が広がっていく。
勇太は祖父を振り返った。
「一体、どういう……」
繁は無言で顎をしゃくった。額縁を見ろと。
勇太は再び額縁に目をやった。
一枚のページが、ひび割れたガラスを突き破って出てきた。
古びて黄ばんだ紙片が、風に吹かれたように宙に舞う。
と、そのページは鋭い円錐形に丸まり、勇太に向かって突っ込んできた。
その速さに避けることも叶わず、円錐は勇太の額に刺さった。
「うわぁぁぁぁっ!」
勇太は痛みと恐怖で悲鳴を上げた。
反射的に両手で引き抜こうとしたのに、それより速く祖父から羽交い絞めにされていた。
勇太はパニックに陥った。
「じいちゃん! じいちゃん!」
足を蹴上げ、渾身の力で身をよじるが、繁はびくともしない。
老人の力ではなかった。
古紙でできた円錐が高速回転し、ごりごりと頭蓋骨を削る。
「うわぁぁぁっ! じいちゃん、俺死んじゃうよ、じいちゃん?!」
勇太は涙を流しながら首を回し、繁に助けを求めた。
繁は笑っていた。壮絶に。
その瞳は金色に輝き、顔の皮膚には様々な文字が浮かんだり消えたりしていた。
地の底から響くような超自然の声で、繁は言った。
「勇太、これが古屋の成人の儀だ!」
くぐもった笑いを立て、金色の目で勇太の目を見据えて続ける。
その声はまったく愉快そうだった。
「見ろ、勇太! J・J・Jがおまえに入っていく!」
勇太は限界まで眼球を動かして、上を見た。
古本の一ページだった円錐が、回転しながらじわじわと頭の中に進入する。
元の長さを考えれば、もう脳の半ばまでに達していた。
気が遠くなりかけたとき、不意に声が聞こえた。
「これが勇太か」
声のほうに目を向けると、おぼろげな白い人影のようなものが見えた。
不定形な影がもう一つ現れる。積まれた古本のあいだにゆらめきながら言う。
「こちら側にようこそ、勇太」
さらに続々と漂うものが現れて、勇太の周りで囁きを交わし始めた。
勇太はもう正気を保てなかった。
「アーッ! アーッ! アァァァーッ!」
思考は停止し、、甲高い悲鳴を上げ続けることしかできない。
痛みが極限に達した時、額からピンク色の塊が吹き出した。
それを見て、勇太は気を失った。
最後に聞こえたのは、繁のものとも思えない繁の声だった。
「勇太、勝つか負けるかだ、勇太……」
「勇太……勇太……」
優しく揺さぶられて、勇太の意識は浮上した。
がばっと身を起こすと、肩に当たって古本の塔が崩れた。
心臓が早鐘を打ち、顔面の毛穴が開く。
勇太は額をさすった。なんともない。
それから『James・J・James』の古本が収まった額縁に目をやる。
勇太は息を呑んだ。
ページが減ってる!
一瞬だけ気が動転したが、考えてみれば、元々の様子が定かじゃなかった。
そもそも、自分がいつの間に気を失ったのか、眠り込んだのか、はっきりしない。
傍らには、柔和な笑顔の祖父、繁がしゃがみ込んでいた。
繁はにこやかに言った。
「こんなところで寝てないで、こっちきて茶でもやれ」
1 件のコメント:
次書きます!…夜にでも。
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