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2013年6月10日月曜日

無計画書房は第2回福岡ポエイチに参加しました

2013年6月9日(日)
第2回福岡ポエイチ
無計画書房として出展いたしました。




















出展物は
てきすぽどーじん 6号』
『きた★たん 北九州市短編・掌編集』
ロクコの集合
でした。
きた★たんはなんと完売いたしました!

ブースには山田が座っていたのですが、
たくさんの人に出会え、とても濃密な空間でした。

お買い上げいただいた方々、
交流していただいたサークルのみなさま、
制作に関わってくれたメンバー、
そして応援し見守っていてくれたみなさま、
ほんとうにありがとうございました。



山田の個人的なレポはこちら。

とりあえずのほんだな: 第2回福岡ポエイチに出展してきたのですよ

2013年2月1日金曜日

柳町ゲートキーパーズ


 門司駅前の交差点で信号待ちの途中、上着のポケットから携帯をとり出した。
 着信を確認したが、まだ是武(これたけ)からのメールはない。
 三十分ほど前には黒崎駅に到着した旨のメールが届いたが、おそらく今頃は無事に門司駅に着いている頃だろう。
 ――同じ門司の市営団地に住む幼馴染みで、小・中学校時代の同級生でもあった是武とは数年前よりたびたび旧交を温める仲となっていた。今では二人とも門司区を離れ、俺が北九州市戸畑区、向こうが広島市内に在住しているので旧交はもっぱらネット経由での保温となる。しかも温め忘れて三・四ヶ月冷ましてしまう事もざらにあったが、途絶える事なく不定期的に連絡を取りあっていた。
 その是武が『姉ちゃん』の呼びかけもあり北九に帰って来る運びとなったのは一週間ほど前の話だ。是武はそれま勤めていた会計士事務所を辞めた直後で、どうやら永犬丸(えいのまる)の実家を拠点にして北九州市内の職を見つけるつもりらしい。

 時間は午後六時を少し過ぎており、日が沈んだ後の門司駅前は街頭と信号、慌ただしく往来するヘッドライトのせいか、赤茶色で現実味の薄い、どこか玩具でできた街のように見える。
「おう、アッちゃん」
 いきなり駅とは反対方向から声がかかったので少々驚いたが、是武だった。そんな名前で呼ばれるのも今では家族を除けばごく少数の幼馴染に限られるものだから少しばかり懐かしい。
「早いやん。遅かったら駅舎まで迎えに行こうかち思っとった」
「黒崎着いたら丁度いいのが来たけん飛び乗った」
「ヒゲ生やしとる」
 顎髭に手を伸ばしたが上手いこと払われた。ほぼ一年ぶりに会う旧友は全体的に少し痩せたように見える。
「――それで『姉ちゃん』とは連絡ついとるんか?」
「さっき電話したら『七時には開ける』っち言いよった」
 俺の返事に是武は髭つきの顎を上げてカクカクと頷く。そういえば子供の頃からこいつはそういう偉そうな首肯の仕方をしてたっけ。
「時間は俺に合わせてで本当に良かったんか? 俺は姉ちゃんの都合のいい日取りで構わんのやけど」
「本人がええっち言いよったんやけ、ええっちゃ。今から手土産買うけん寄り道するぞ」
「どこで?」
「こっからちょっと行った先に『六法焼』があるけ」
「ショボいなー」
 やかましい、と言い捨ててから信号を渡る。

 『六法焼』で回転焼きを六個ばかり買い込んだ俺たちは、そのまま裏路地を小倉方向へと進む。
 空は生憎の曇天で、おまけに昼まで雨が降ったため湿気もあり世辞にも心地いいと言えない夜だ。手に提げていた六法焼の紙袋もゆっくりとだが熱を失ってゆくだろう。
 『六法焼』は店舗の名前も商品名も『六法焼』だが、このタイプの饅頭を六法焼と呼ぶ者は俺の周囲では少数派だ。呼ぶならおおむね回転焼きか、いいとこ回転饅頭といった所だ。たまに『今川焼き』や『大判焼き』などというスカした名称で呼ぶレアなケースも聞くには聞くが、幸いにして俺はまだ出食わした事がない。
「姉ちゃんは相変わらず?」
 六法焼について考えていたが是武の声に遮られた。
「変わらんみたいやな、結婚もしとらん。彼氏おるんかは知らんけど」
 俺の答えに是武はふうんと生返事をしたが、その複雑な表情を見逃す俺ではない。
「多分お前じゃムリやち思うぞ」
 心を抉るかのごとき言葉のボディブローを浴びせると旧友は狼狽えたように「しゃあしいわ」と呟いた。

 ――俺たちが『姉ちゃん』と呼んでいる人物は俺や是武の姉の事ではない。
 『姉ちゃん』とは、むかし俺達が住んでいた市営団地での幼馴染、忍さんを指す。俺と是武より一歳年上だが幼稚園小学校中学校と全て一緒、気の強いある種のオーラを持った女の子だった。幼かった俺と是武はおそらく畏敬のような思いまで込めて彼女を『姉ちゃん』と呼んでいただろう。是武は中学で引っ越してゆき団地を去ったために一時付き合いが途切れたが、俺と忍さんは親同士が高校時代の親友とかで古くからの親交があったために親戚に似た付き合いがあった。それは今でも変わらず、たまに話す程度の付き合いは維持されていた。あくまで親戚のような付き合いという点が少しさびしいが。

 小さな居酒屋や一品料理屋といった昭和の北九州の情味を残す門司区柳町の路地を三分ほど歩くと月極駐車場の向こう側に灰色の小さなビルが見えてくる。懐かしい思いがぶわりと沸き返ってきて堪らない。
「あれな」
 俺が指さすと是武は意外そうに「あんまし、変わってねえな」とだけ零した。
 小さく『井関ビル』と装飾された外壁は少し汚れが目立ち、年季を感じさせる。その一階部分は小料理屋で、これまた昭和チックな外観をした店構えだ。たぶん店舗自体は入れ替わりがあった筈だが、不思議と雰囲気は変わらない。そんな気がする。
 外からちらりと店内を覗いたが、スモークの張られたサッシの内側は客の影がまばらに見えるだけだった。その小料理屋の左手に間口の狭い階段があり、俺はそこを登るよう是武を促す。幼馴染は明らかに怯んだようだった。
「アッちゃん、ここで逃げたらいけんよな」
 失笑とともに俺の方へ振り返った旧友の顔にはどこか不安の色が見える。そういえばこいつ、昔もそんな事言ってたっけ。
「いけん」
 そう俺が笑ってやると観念したかのように是武は階段を登りはじめた。
 階段は照明が弱く、少し薄暗い。おまけに狭いので微妙なプレッシャーを是武に与えているようにも見える。二階の踊り場には更に三階へと続く階段が伸びていたがその先は完全に照明が落とされており、まるで果てなき闇といった様子だ。左方向には鉄製扉が行く手を遮っており、その奥に『姉ちゃん』はいる筈だ。是武がドアのざらざらした表面を手で触れる。
「なんか団地思い出すな。こういうの」
 ぽつりと零す。そこでかよと思いつつ、とりあえず俺も乗ってやる。
「そういや丁度こんな感じだったよな」
 俺も是武も今では団地を離れて暮らしているから微妙な郷愁を感じる事は確かだ。しかし失笑してしまう。こんな薄暗い所で郷愁に浸るなどまるで馬鹿ではないか。照れ隠しもあって「はよ行け」と俺は是武の背中を押した。
「いや、ここっちインターホンとかなかったっけ?」
「ないけん。叩け」
 言うより早いと俺がドアをガンガン叩く。どう見ても是武のやつは怖気づいている。
「こんばんはー、田中です」
 硬いドアに向かって声をかけると「はーい」という小さい返事があった。構わずにドアノブを回すと鍵はかかっておらず、思いのほか軽く扉が開いた。
「こんばんはー」
 俺に続いて是武が控えめな声で挨拶する。部屋の中がちゃんと明るい事に少しは安心したようだ。ドアノブが俺の手を離れていっぱいに開かれると見知った顔が現れた。
「こんばんは。ユキくん久しぶり」
 ユキくんとは是武の幼い頃の愛称だ。目の前の女性・忍さんは入って入ってと俺達ふたりを招き入れる。俺への挨拶はスルーだが、それは別に俺が嫌いという意味ではなく親戚のような気安さゆえだ。
「どうも、ご無沙汰してます」
「元気やった? おばちゃんたちは変わりない?」
「お陰さまでみんな元気です。こっちに帰ってからお袋が毎日うるさいですけど」
「久しぶりに親孝行できるっち思ったらいいやない」
「いやぁ、親孝行はまだちょっと厳しいですね」
 そう言って忍さんと是武は笑う。
 ――如才のない事を言って社会人の顔で笑う是武を見ていると、いっぺんに時の流れを感じて妙な気分だ。同い年なのに、知らないうちに大きくなりやがって、などといった父親めいた感慨が湧いてくる。同時にほんの少しの寂しさもあるから、まったく不思議なものだ。
「姉ちゃん、これ買ってきたけん食べようや」
 『六法焼』改め回転焼きの紙袋を俺が出すと、忍さんはやけに真面目な顔で「それは後にせん?」と言って俺を見た。まあそれもいいか、と思った。
「忍さん、ここ買ったんですか?」
 井関ビルの二階フロアはさして広くはないがオフィスとして利用するには手頃な間取りだ。しかし実務的なものは一切置かれていない殺風景な眺めから察するに、おそらく『入り口』としてのみ利用しているのだろう。二十年前もこの廃屋のようなこの佇まいから俺と是武が冒険心を刺激されて踏み込んだのだ。
「ここはビルも含めて全部母の名義になってるから」
 そりゃあそうでないとな、と俺は頷いた。地下にあんなものがあるんだし、入り口もあんな風になっているのなら賃貸なんて危なすぎる。俺がそう言ってやると是武はあっさり納得した。
「もう二十年になるんですね」
 あたりを見回して是武が感慨を込めて言うと何やら色々とこみ上げるものがある。あの頃ただの小学生だった俺たちはすっかり歳を取ってただの大人になった。特別な何者かになれると信じていたあの頃の俺たちはもうどこにもいない。
 それでも俺と是武はここへ帰ってきた。忍さん、いや『姉ちゃん』の元へ。
 忍さんは是武を、次いで俺の顔を見つめると言った。
「ユキくん、アッちゃん。おかえりなさい」
「ただいま、『姉ちゃん』」
 二十年の時間を一気に遡ったような気分になる。湿っぽくなりそうだったので俺はわざと声を高くした。
「じゃあ始めよっか」
 それが号令となった。
 フロアの右隅の壁には小さな鳥居を象った刻印が彫られてある。
 その事を確認した是武が壁の切れ込みを押すと一枚だけ壁板が外れて木製の引戸が現れた。そこを開けると二十年前のとおり、ぽっかりと穴が空いている。
「……建物は古くなったけど下は何も変わってないから、心配いらんけんね」
 そう言い残して忍さんが穴へと飛び込んだ。
「変わりないっち言われてもな……」
 怖いよな。是武が床に空いた穴を覗きこむ。小学生の頃ここから落ちたのはただの事故だった。だが今は意を決して飛び込まなければならない。
「こんなとこ飛び込むっちゃ、いよいよいかんくなった時くらいっち思っとった」
 それはつまり自殺という事か。そう察した俺は眉を逆立てた。
「はよ行けえや」
「分かっとる、分かっとるっちゃ!」
 俺に背中を蹴られる前に是武が穴へ飛び込んだ。その直後に俺も飛び込む。
 暗闇の中、風を切る凄まじい音が耳を聾した。穴の中は急勾配になっており俺たちはどこまでもどこまで滑り落ちてゆく。低い悲鳴が上がったが、あれは多分是武だろう。そう冷静に思ったが俺もずっと悲鳴を上げていた事に気づいたのは地下に到着した後だった。
 隣には是武が四つん這いになって呼吸を整えていた。どうやら悲鳴を上げていたのは本当らしい。俺は腰が抜けていた。
「……きつい」
 俯いたままで是武がそう零す。確かにきつい。二十年前はもっと楽しい心地だったと思うが、もしそれが記憶違いでなければ子供時代の俺たちは少しおかしい。
 俺たちが辿り着いた場所は『もんじの関』と呼ばれる『御社』だった。相変わらずよく分からない所だ。照明器具など一切設置されていないのに壁面全体がぼんやりと光っていて、先が見渡せる程度に明るい。
 板で組み上げられた宮方(みやかた)と呼ばれる小さな祭壇。その手前には畳が三枚ほど敷き詰められている。異常と言えばかなり異常な光景だ。
「二人とも着いたね」
 俺達の前に現れた忍さんは既に着替えを済ませていた。いつの間に、という早業だが確か前回もそんな風だった。そして今回も俺は空気を読んでそこには触れない。
「やっぱりその格好するんですね」
 ようやく背を伸ばし立ち上がった是武が忍さんを見て言った。忍さんは白い柱袴(はしらばかま)に白い水干(すいかん)、黒い高烏帽子という神職独特の装束に身を包んでいる。よく正月に見かける神社の巫女さんのように白衣と緋袴ではない点が特徴的だ。
「一応ここの神官やけんね」
 水干の袖をピンと広げる忍さんは少し自慢げに見える。その仕草がちょっとばかり少女ぽかった事で俺は不覚にもときめいてしまった。そしてすぐさま十年前の失恋の傷が鮮やかに疼きだす。これだけは是武にも話していない秘密だ。
「……前はたしか巫女さん装束やったね?」
 心の傷を表に出さぬように俺はいつもより調子を上げて忍さんに尋ねた。
「結構前に母さんの跡継いだけんね、今は立派な神主」 
 忍さんの答えに是武が俺と同時に「へえ」と声を上げ、その直後ハタと俺へ向き直る。
「お前も知らんかったんか」
「『内向きの話はしたらいけん』っち決まりやったやないか。お前が忘れとうだけっちゃ」
 そう言ってやると「そうやったっけ?」と是武は首を捻った。そういえばこいつはいち早く引越ししていたんだった。
 しかし神社といえどこれほど風変わりな神社もない。俺は二十年ぶりに訪れる『御社』を見渡した。
「千仏鍾乳洞に似とるね」
 ぽつりと洩らした独り言に忍さんが反応した。
「平尾台の? そう言えばそうね。こっちは狭いけど」
 鳥居はあの井関ビルの壁、御社は鍾乳洞。改めて考えるとかなりシュールな光景だ。二十年前は何も知らない子供だったから冒険心と好奇心だけで動けたが、今となっては疑念や不安といったものが鎌首をもたげてくる。
 
 陸と海の境界であり本州と九州の境界だった北九州は、かつて陸と海の要衝として幾度もの戦乱の舞台となった。
 ここ門司は、遥かむかし『もんじの関』と呼ばれ、現在の下関市である赤間関と同様に海の玄関口として利用され、近代化を遂げたのちは港町として大いに発展してきたのだった。
 だが実際に俺たちが二十年前に体験したそれまでの現実を破壊するような体験を経て、俺達の門司に対する認識は変わった。平安の世に『もんじの関』と呼ばれた関はここ、柳町の地下深くに眠っている。それも関は関でも海の関所ではなく、この世とあの世の関所としてだ。忍さんはこの『もんじの関』を守る門の司。わかりやすく言うなら門番、ゲートキーパーだった。
 悪鬼悪霊を関の向こうへと追い祓うゲートキーパー。俺と是武は二十年ぶりにその忍さんの声掛かりでゲートキーパーを努めにやって来たのだ。
「今日もやっぱり、ナントカの魂を呼ぶん?」
「守御霊(まもりごりょう)な。覚えとけや」
 石灰石の壁を撫でながら是武が偉そうに言うのでちょっとムカついた。さっきまで約束の事きれいに忘れとった癖によう言う、と胸中で愚痴る。
「……その守御霊の力っち、本当に意味あるんかな? この二十年色々あったけど、良い事より悪い事ばっかり思い出されるんやけど」
 宮方へ榊を捧げていた忍さんが振り返る。この二十何年かを門の司として生きてきた彼女としては絶対にいい気分はすまいが、全部言ってしまわねばこっちも後味が悪い。
「――ホラ、この二十年の間に大きな災害はようけあったしさ、テロもあったし、景気なんか全然ようならごとあるし」
 是武が何も口を挟まないのはある程度俺と同じ事を考えていたからだろう。
「じゃあやめる?」
 忍さんの答えは素っ気ない。
「――でもね、アッちゃんと違ってこの『もんじのせき』に集まって下さった守御霊さまはそうは思ってはいらっしゃらないみたい」
 宮方の前の板台に置かれた御幣(ごへい)が風もないのに揺れていた。
「門司は九州と本州の境界で、海と陸との境界でもあったけん戦争が多かった。門司周辺で亡くなられた御霊はその恨みや無念を鎮めたもうた後でかかる災厄から守ってくださるよう力を貸してくださっている」
 忍さんの声に合わせてどこからともなく太鼓の音が鳴り始めた。初めは鼓膜を擽る程度だった太鼓はゆっくりと音量を増してゆく。
「『もんじの関』を守り、悪しき災霊におかされぬよう、妙なるおちからをもって――」
 なんだか忍さんの様子がおかしい。
「――もろもろのまがごと、つみけがれあるをきよめたまへ、はらいたまえへ――」
「……忍さん?」
 おそるおそる是武が声をかける。急に口調が変わった忍さんは手にした御幣を左右に振って祝詞を上げ続ける。
「――たふときみたま、やぬちおだひにみをまもり、ひをまもりよをまもり、みめぐみをたれたまふを、たたへまつりいやびまつり――」
「なあ、ちょっと?」
 俺がそっと横から顔を除くと忍さんの端正な顔は血の気が引いたように白くなっていた。これはまるでトランス状態じゃないか。ナショナル・ジオグラフィックTVの番組でアフリカのシャーマンがこんな風になったのを思い出した。太鼓の音は荒れ始め、さらに笛の音も加わった。大積天疫神社の大積神楽のようだ。しかし誰も面をつけて踊ったりしないので神楽と呼ぶのは違うだろう。
「おいアッちゃん……どうすんの、これ」
「ちょっと様子見とこうや」
 迂闊に触れるのも怖い。俺たちをよそに太鼓と笛も盛り上がりつつある御社の中で、抑揚のない忍さんの声が鍾乳洞の壁にくぐもって反響する。
「――いかしきあらみたま、ひとのちからにおよばざるもろもろのわざわひをとほくはらひふかくしずめ――」
 玄妙、と呼ぶべきなのか定かでないが太鼓と笛の音の中で祝詞を上げ続ける忍さんの姿はどこか荘厳で美しかった。現実感が褪せているのも相まって、このまま忍さんに付き合うのも悪くないような気がしてくる。……たとえこれから俺達のやる事に何の意味もないのだとしても。
「――ゆくりなきこころよわりをみゆるしたまひ、いさみたたしたまひて、つよくおおしくまもらせたまへ……」
 祝詞の声はゆっくりとトーンを絞られゆき、最後に忍さんは宮方に向かって緩やかに拝礼した。ひたすら不安に苛まれながら祝詞を聞いていた俺たちはとりあえずほっとした。
「終わったっぽいな」
 そう零した是武に頷く。忍さんは丁寧に拝礼を繰り返したあとでやっと俺たちへ向き直った。目がちょっと怒っているように見えるのは俺の錯覚などではないだろう。そう思った途端に忍さんに腕を引っ叩かれた。
「あいた!」
 大げさに痛がって腕をさすったが忍さんは真剣なようだ。
「アッちゃんがあんな事言うけん御社の気が乱れたやん」
「……『気』って」
 一般生活に馴染みのない単語が出てきたので俺は一瞬ぽかんとしてしまった。
 なんて稚く、漫画っぽく、そして甘美な響きなのだろう。気。しかし考えてみれば俺達の現実は二十年もむかしにその稚く漫画っぽい世界へと繋げられてしまったのだ。
「……俺が弱気吐いたのがいかんっちこと?」
「そりゃそうよう。守御霊さまは今もこうして、あたしたちを見ていらっしゃるんやけん」
 この忍さんの言葉に乗っかるように是武が笑った。
「弱気はいけんぞ」
「しゃあしい」
 不思議な事にそれまで俺の胸中に渦巻いていた疑念や不安はすっかり取り除かれてしまっていた。これが『御社』の気を鎮めた祝詞の効果なら大したものだ。
「そろそろ良いね?」
「……お手数かけます」 
 語気に鋭さがあって俺は完全に怯んでしまっていた。元気のない返事にかつての『姉ちゃん』の血が騒いだのか
「シャンシャンせんね! 男やろ!」
 忍さんが叱咤の声を上げた。いい年こいてこんな風に言われるのは結構つらい。
「すいません。もう大丈夫です」
 有無を言わせぬこの空気。不安や疑問をぴしゃりと吹き飛ばすオーラとでも呼ぶべきこの気迫。確かにそうだ、二十年前と何も変わりがない。 
 忍さんは再びゆっくりと拝礼する。その途端にふわりと身体が軽くなった。
「もう始まってる?」
 声に出そうとした。しかし俺の声はなぜか遥か遠くで鍾乳壁に跳ね返ってぼわんと反響した。違和感に気付き足元を見下ろすと、俺の身体が棒きれのようになって畳の上に転がっている。その様子をとなりで見ていた是武はあわてて畳の上にあぐらを組んで座る。なしてお前はそんな余裕あるんかちゃ、ズルかろうが。そう発した意識は拡散する前にすぐに霧となって消えた。
 ――俺の霊魂はすでに守御霊の中へと取り込まれていた。
 まるで地の厚い毛布にでも包まっているかのように温かい。繊維のように数限りなく編まれている古き御霊の思念が俺を完全に守り、包み込んでいるのだ。
 その中で、俺は俺の思念が守御霊のそれと混交し、雑多になってゆくのを感じた。数多くの意識、感情、そして荒々しい歴史の濁流が通り抜けてゆく。忍さんへの片思いや是武への心配も今は余計だった。澄み尖ったただの守御霊となるべく『俺』の魂はより鋭くより自然な形へと削ぎ落とされてゆく。『俺たち』の澄み尖った魂こそ守御霊が悪鬼悪霊と戦うために必要な素材だからだ。
 もんじの関の石壁を守御霊は突き抜けた。それと同時に守御霊は二つに分かれた。『是武』は『俺』に追いついていた。だがそれも、かつて是武であった霊魂と呼ぶにすぎない守御霊の一部だ。
『この関をうまいこと守り通したとしたって、こんなバカみたいなこと誰にも自慢できんな。それがちょっと悔しいわ』
 守御霊から削り落とされた霊の欠片がそう笑った。
 和御魂を強め守御霊は闇を切り裂いてゆく。『俺たち』の旧友だった神官は無心に祝詞を捧げている。その声が力となる。それを強く感じる。既に此岸を超え、守御霊は異界へと突入していた。高度を上げて闇を突き破るとそこには何の異変もない北九州の夜景が広がっている。守御霊は巨大な大鷲に姿に変え、青く光る炎を夜空へと吐き出した。黒雲の群がってゆく遥か彼方で目を晦ます凄まじい光が炸裂する。
『何もいい事なんかないんかもしれん。俺はこれが片付いてもハロワ通いやし』
 守御霊の片方から霊が散ってゆく。
『そうかもな。でもさ是武、俺は今日ここに来てよかったーっち思った』
 守御霊は光弾を次々に吐き出してゆく。羽ばたきと同時に数々の霊の欠片が撒き散らされる。
『もし、うまくいったら。こんなふざけたこと誰にも言えんけど、ちっとは誇りみたいのが持てる。今よりは前を向いて生きていけるような気がするっちゃ』 
『世界を守ったヒーローやけんな、俺らん』
 戯れるように翼を叩き二羽の守御霊はより深まってゆこうとする闇を切り裂くかのように飛翔し、光弾を撃ち込んでゆく。





*ちょっと誤字脱字修正しました

2012年7月26日木曜日

「きた☆たん 北九州市短編・掌編集」について

■いきさつ

元々テキスポで本を作るつもりだったのですが、テキスポがなくなっちゃいました。
北九州市にまつわる小説や詩などを集めた本を作ります。


■タイトル決定

北九州市短篇集(仮)という名前で進めてきましたが、
タイトルが決定しました。

「きた☆たん 北九州市短編・掌編集」です。


■媒体

とりあえず、パブーに無料本を作ります。
それからささやかなコピー本を作りたいと思っています。

2012年11月18日に開催される、文学フリマの、
どなたかのブースのすみっこにでも置かせていただけないかなあと目論んでいます。


■創刊号

とりあえず、創刊号として北九州市七区の作品を集めます。
あわよくば、二号三号と……。


■参加者(あいうえお順 敬称略)

雨森……戸畑区、 門司区担当
あやまり堂……八幡西区担当  木屋瀬川合戦(1/3) (2/3) (3/3)
進常椀富(シゾワンぷー) ……小倉北区担当 半鐘を鳴らす手(1) (2) (完結篇) 
山田佳江……若松区、八幡東区担当


■締め切り

色々滞っていて申し訳ありません。

原稿締め切り 8月10日(金)
パブー本発行 9月末
コピー本発行 10月末

こんな感じで進めたいと思います。


■編集

おそらく山田がやります。
夏休みの間に写真を撮影してくるつもりなので、
ご要望のある方は、山田までご連絡下さいです。




なにやらじわじわと実現しつつあります。

2012年6月2日土曜日

半鐘を鳴らす手・完結篇

  俺たちは現状維持に気を配りつつ、横目で今井の姿を追う。
  今井は疾走し、敢闘門そばまでたどり着いた。だが自転車はタイヤを擦りつつ、壁に激突する。
 今井は落車して転がった。
  俺たちの自転車、ピストにはブレーキが付いてない。今の状況下では壁に当たって止まるしかなかった。ここまでは今井も計算していたはずだ。しかし、アイツは運がなかった。
 落車したときに足をひねったらしい。
「今井!」
「いま行くぞ、今井!」
 俺と立川さんは叫んだ。 
  俺たちは裏切り者であろうと、今井を助けたかった。
  危険を承知で、打撃の手を一方向に集中する。俺たちはわずかに今井に近づいた。だが、痛みを感じない様子のゾンビたちが、すぐに立ちふさがる。 
  今井は立ち上がったが、のろのろとびっこを引きながら門へ向かう。
 そこを黒服の運営員に捕まった。さらに、赤シャツの競輪選手が今井の肩を押さえ、肉に噛み付く。
 そばの階段から、破れたスーツを着た者や、他の競輪選手が上がってきて、今井に群がった。一度捕まれば終わりだ。
「うわぁあああああっ!」
 今井の絶叫が響き渡る。
 俺たちの周りのゾンビが、それを耳にしてよだれをたらし、注意を今井に向けた。
 立川さんが声を張る。
「今井の犠牲を無駄にするな! 一発食らわしたあと、門までダッシュだ!」
 立川さんは、今井の裏切りを美談に変えた。細かいことにこだわる必要はない。
 俺は号令を出した。
「いまだ!」
 俺たちは自転車を振るい、レンチで殴りつけ、最初の囲みを突破した。
 俺たちは駆ける。
 進路上に存在するゾンビは、こちらか今井か躊躇した隙に殴り飛ばす。
 うまく行っている。今井の新鮮な血の臭いが、奴らをかく乱しているに違いない。
 ゾンビたちが群がり咀嚼する、今井の近くを通り過ぎた。今井はひどい有様だった。首が外されていたので、もう蘇ることもないのかもしれない。
 貪欲な二体のゾンビが、俺たちを目にして立ち上がった。他に追ってくる者もいた。
 だが、その時俺はたどり着いていた。
 白く輝く敢闘門に。
 俺の背後で、村田がゾンビを打ち据えながら言った。
「開けろ、知己島!」
 敢闘門には、目の高さの位置に外を覗ける隙間が付いている。
 だから俺には見えていた。
 それでも俺は敢闘門の右半分を引き開けた。
 そして、絶望とともに呟くしかなかった。
「もう……逃げ場がない……」
 強烈な腐敗臭が鼻をつきぬける。
 バンクを取り巻く無人のはずの観客席には、おびただしい数の生ける死者がうろついていた。目の前の競技バンクはドームの二階にあり、その内側はすっぽりと抜けている。床が一階にあるアリーナだ。そこも爛れ傷ついたゾンビたちでいっぱいだった。
 俺たちの晴れ舞台、バンクの上も。
 そこかしこに小さな群れができ、競輪選手や審判員が、倒れた仲間を喰らっていた。
 誰がドームへの入り口を開けたのかは、もはや問題じゃなかった。
 この北九州メディアドームの外、小倉北区の市街は、すでに奴らが溢れているのだった。
 俺たちが宿舎に入ったころには、静かに始まっていたに違いない。
 小倉では暴力事件が多くなっているようだから気をつけろ、と注意されていた。
 俺は、いつものことだと気にしなかったが、それは前兆だったのかもしれない。
 今晩、この今、臨界点に達し、迸るように街を支配した腐敗と飢餓の。
 どよめきのような唸り声がドームを満たしているせいで、気付くのが遅れた。
 俺は唐突に左足をつかまれ、アキレス腱を食いちぎられた。
 足のないゾンビが、敢闘門の裏側に潜んでいたのだった。
「畜生が!」
 俺は激痛が襲ってくる前に、そいつの頭を蹴り飛ばした。身体を支えきれずに倒れる。
「よくも知己島を!」
村田が横に飛び出してきて、フレームでその頭を刺し貫いた。
 俺は左足全体に広がる痛みに起き上がれず、脂汗をかいてうめく。
 立川さんと安達が飛び出してきて、門の左右に回る。門を閉じ、端から押さえて開かないようにした。
 村田が肩を貸して立たせてくれた。
「しっかりしろ、一口やられただけだ!」
「ああ、ああ」
 俺はなんとか答えたが、痛みは左半身に広がり、痺れかけていた。こんなのは普通じゃない。もう、長くはないと直感した。
 敢闘門が内側から激しく連打される。
 門を押さえながら、立川さんが言う。
「どうする? 外も奴らでいっぱいだ、逃げ場がない!」
「でも、外に出ないと助かりません!」
 村田が怒鳴り返した。
 敢闘門がたわみ始め、安達が悲鳴のような声を出す。
「ここも、もう持ちません!」
 この騒ぎで、バンク上でもこっちに気付いたゾンビが出てきた。
 俺は言った。
「やづらがきづいだ……」
 自分の言葉に衝撃を受けた。口が回らなくなっている。
 立川さんが諦めたように門から離れた。
「ここはダメだ。バンクのほうに下がろう。安達、離れろ!」
 俺たち四人は再び固まり、周囲に目を配りながら、ゾンビのいない方、バンクの内側へ移動していった。
 俺は村田に支えられてついていく。
「ふんばれ、知己島。俺たちは助かる、助かる……」
 村田の励ましが、俺の意識をつなぎ止めていた。村田は頼りがいのある奴だ。うまそうな腕をしているだけはある。
 俺は一瞬の連想を打ち消した。
「うぐぅぅぅぅ……」
 唸って人間の魂を奮い起こす。友情を思い出す。
 バンクを横切ったところで立川さんが動きを止め、小声で言った。
「……どこへ……行く?」
 俺たちはバンクの内側で追い詰められていた。血まみれの腐りかけた奴らにぐるりと囲まれ、そいつらが呻きとともに輪をせばめてくる。
 敢闘門もこじ開けられ、中からゾンビたちが溢れ出す。
 奴らにも感情の名残りがあるのだろうか。俺たちに逃れる術がないと知り、まるでこの状況を楽しんでいるように、ゆっくりと近づいてくる。
 このままでは誰も助からない。
  俺は決意した。
「お、おでがおどりに……なる!」
 そう言って振り上げたレンチが固いものにあたり、甲高い音が響いた。
 レンチが、釣鐘型の半鐘に当たっていた。小倉競輪場だった時代から引き継がれ、中央が虹を意味する五色、アルカンシェルに塗られた半鐘は、俺の後ろに吊り下げられていた。
 その音が鳴り渡った瞬間、生ける死者たちの唸りが止み、動きが止まった。
 俺たちも息を呑む。
 それから、俺の頭がまだ機能することを、何かに感謝した。
 俺はレンチで半鐘を続けざまに打ち鳴らした。ちょうどレースで最後の一周が始まるときのように。
「ヴおおっ、ヴホッ……」
「オオオッ、ボホォ……」
 半鐘の響きに連れて、ゾンビたちに動揺が走る。俺たちに対する興味をそがれたように、濁った目で辺りを見回している。
 俺はさらにレンチを振るった。
「ヴホッ、ヴオオオッ」
 口々に喘ぎながら、元競輪選手だった屍たちが、とうとう自転車に手をかけ始める。
 そして生前とは比べられない拙さだったが、自転車でバンクをよろよろと走り始めた。
「オオオオオッ!」
 足が完全じゃなくなっている者たちは、地面を叩きながら悔しそうに唸る。
「どういうこった……」
「何をした、知己島?」
 安達と立川さんが呆然と呟く。
 俺には分かっていた。失くしかけの人間性からの最後の贈り物に違いない。
 周囲に存在する腐りかけの者たちは、死してなお、このメディアドームに引き寄せられてきた。生前は相当な競輪好きだったはずだ。
 さらに競輪関係者なら、この鐘の音を聞いて奮い立たないわけがなかった。
 溶けかけの脳から、魂の残渣を蘇らせる。
 かき鳴らされるジャンの連打には、その力があったのだ。
 俺の身体からは痛みが消え失せ、ふわふわとした麻痺感に包まれていた。ただ、飢えと乾きだけがだんだんと募ってくる。
 もう自力で立っていられるので、村田の腕を振りほどいて言った。
「むらだ……」
 半鐘の音で聞こえなかったらしく、村田は顔を近づけてきた。思わず、よだれが湧いてくる。俺はこちら側に踏みとどまりながら言葉をつむぐ。
「むらだ、いまならいげる……じか通路から宿舎に逃げろ……おではのごる……」
 敢闘門からは、残った競輪選手が自転車で出てきてバンクを走り始めていた。運営員やスーツを着た関係者の何人かも自転車に乗っている。彼らも観衆の見守るバンクを走りたかったのだろう。
 他のゾンビたちは低くのどを鳴らしながら、よろよろと走る自転車を惚けたように見つめる。
 村田が肩をつかんできた。
「知己島、おまえをおいていけるか!」
 俺はもう、いつまで喋れるか分からない。
 半分だけ欲望に従い、歯をむき出して言った。
「おまえを食いだい」
 村田は一瞬目を見開き、それから後ろを振り返って、安達と立川さんに何事か伝えた。
 半鐘の音と死者の唸りが混ざる中、安達が無言で俺に頭を下げた。立川さんは目を閉じ、俺に向かって合掌する。
 村田が大声で訊いてきた。
「最後にできることはないか、知己島」
 俺の飢えは限界に近かった。正直に言わずにいられなかった。
「腕を一本おいでいげ……ゆびざきでもいい……ちょっどでいいんだ……」
 村田はうつむき、目からうまそうな汁を流しながら言った。
「腕はやれん、知己島。だが、おまえのことは一生忘れない!」
「そうが……いげ……」
 俺は心底がっかりしたが、まだ分別はわずかに残っていた。
 村田は口元を押さえながら、安達と立川さんを促して敢闘門へ向かった。
 ゾンビたちは目もくれない。
 俺の肉たちが遠ざかっていく。俺の肉、俺の大事な肉……だからこそ守らなければならない。俺は欲望と魂の狭間で叫んだ。
「ヴぉおおおおおおおおッ!」
 首をのけぞらせて叫びながら、必死に半鐘を叩き続けた。
 腐りかけの観衆が見守るなか、血みどろで傷だらけのレーサーたちがバンクを回る。膿と内臓をこぼしながら。
 村田たちがどうなるのか分からない。
 だが、俺は続けなければならなかった。
 このメディアドームで最後の競輪を。おそらく北九州で最後の競輪を。
 もしかしたら、地上で最後かもしれないミッドナイト競輪を。
 この半鐘を鳴らす手が、腐り落ちるまで。
 すべてが無害に腐り果てるまで……。


「半鐘を鳴らす手」もしくは「ミッドナイト競輪of The Dead」完

 無計画書房版特別エンディング
 すべての惨劇は過ぎ去った。
 小倉の街は静かな朝を迎える。
 街のいたるところ、通りの隅々に干からびた無害な屍が横たわる。
 息吹の気配が無いなかでも太陽は昇り、北九州メディアドームを照らした。
 自転車競技に使われるヘルメットを模ったといわれる、滑らかなフォルムが白銀に輝く。
 そのメディアドームを望みながら、一人の男が歌っていた。
 がっしりした肩から吊り下げたギターを、無心にかき鳴らしながら。

 オーイ 夢のラップもういっちょ
 さあ 夢のラップもういっちょ
 
 弔いの歌は風に乗り、孤独に流れていった。

2012年5月23日水曜日

半鐘を鳴らす手(2)

近藤さんの体が痙攣しながら崩れていく。頚動脈を齧り取られては、もう意識はないだろう。今、この場では助けるすべもない。
 近藤さんは死んだ。
 だが、彼が言ったことは正しい。ゾンビの数がどれほどか分からないにしろ、出入り口を押さえられたら、俺たちは助けを待って篭城するのも難しい。それはあまりに絶望的だ。打って出るしかなかった。
 俺は安達を襲った検車員にもう一撃、自転車を振るい下ろしてから言った。
「安達、タイミングを見て俺に続け! ここを出る」
 自転車を槍のように腰だめで構える。目標は出入り口に座り込み、近藤さんの顔を齧っている年配の店員だ。
 開いている扉からは、検車場の広がりが見えた。無人だ。
「全員こっちだ! うおおおおおっ!」
 俺は雄たけびを上げて突っ込んだ。
 自転車の前輪が女店員の上体をとらえ、弾き飛ばす。俺は、その横を通過したあとに振り返り、さらに自転車を横振りして追撃する。
 女店員は転がり、柵状の自転車立てにぶつかった。
 出入り口からは、安達と今井が飛び出してきた。立川さんも続く。
 立川さんは出入り口の上に腕を伸ばしながら、ローラー室の中へ怒鳴った。
「村田、もういい! 防火シャッターをおろす!」
 俺の目の前では、首を振るって店員が立ち上がり、襲いかかってくるところだった。危険を承知の上でこいつを立たせた。立川さんと村田なら上手くやってくれると信じて。
「コイツも中へ!」
 俺はそう言いながら自転車で横殴りし、店員を出入り口のほうへ突き飛ばした。
 ちょうど出てきた村田とゾンビ店員が、出入り口で鉢合わせする。
 村田は一瞬ぎょっとしたものの、すぐに反応した。発達した太ももから前蹴りを繰り出し、店員もローラー室の中へ追いやる。
 立川さんが防火シャッターを下ろす。安達と今井が、近藤さんの遺体をこちら側へ引き出そうとしたが、それより早く中へ引き込まれてしまった。シャッターは冷厳に閉じられ、留め金をかけられた。
 俺たちは息もつかずに、周囲に視線を巡らせる。
 検車場は、直径一メートル以上の円柱数本によって支えられている、白い壁の広い空間だ。広場のあちこちには水色に塗られた自転車立てがあり、壁際に設置された棚には空気入れなどの工具が備えられている。
 さらに天井から吊るされている自転車も、まだ十台以上あった。
 今のところ、人影はない。
 俺たちは、やっと一息つくことができた。
 閉じたばかりのシャッターの向こうも静かだった。
 今井が眉根を寄せ、床の血溜まりを見つめながら呟く。
「近藤さん……今頃、奴らは……」
 確かに、そういうことだろう。奴らは近藤さんを晩餐にすることで夢中に違いない。
 しかし、俺たちがローラー室に篭っていたのは三十分がいいところだ。そのあいだに何が起こったのか?
 村田があごひげを擦りながら、俺と同じ疑問を口にした。
「まるで夢を見ているようだ。何が起きたんだ、この短時間に……」
「何が起きたかはともかく、まだ油断するのは早い。問題は、向こうだ」
 立川さんが言いながら親指で指し示す。
 血溜まりがあった。
検車場はその一角から通路上になって伸びている。扉などには区切られていない。短い上りのスロープと平坦な通路、二つの道がある。
スロープを上がると出走前控え室で、その先には白い敢闘門がある。出走前控え室の横で最終的な検車が行われるため、便宜上そこまでを検車場と呼んでいる。
平坦な通路の方は、ドームの他の区画へと続き、途中に管理室への出入り口がある。管理室とは控え室の別称で、俺たちは床に毛布などを敷き、レース当日においては一番多くの時間をそこで過ごす。
 立川さんは苦々しげに続けた。
「あそこで黒丸はやられていた。敢闘門か管理室か、あいつがどっちに向かおうとしたのか分からない。分かれ道の手前で倒れ、食われていたんだ。三人の競輪選手にな! そこへスロープの上からあの検車員たちが現れ、もっと新鮮な獲物を見つけて追ってきたというわけだ」
 安達がおずおずと尋ねる。
「黒丸の……その、遺体はどこに……?」
 立川さんはかぶりを振った。
「分からんな。だがこれだけは確実だ。向こうには……いる!」
 敢闘門近くにはレースを控えた十四人の選手に加え、運営員、関係者、テレビクルー。管理室にはレース三つ分の選手、二十一人はいたはずだ。なのに、俺たちへ異常を知らせに来る者は一人としていなかった。
 事態は静かに始まり、速やかに人々を圧倒したのだ。俺たちは運が良かったのかもしれない。まだ生き残っているのだから。
 俺は壁ぎわの工具棚に向かいながら言った。
「もう俺たちはゾンビと壁一枚さえ隔てていない。何人いるか知らないが、奴らを突破しなくちゃならないんだ。得物を探そう」
 そして、四十センチほどのレンチを片手に取った。ここにある工具の中では一番長さがあるものだった。
 安達が、誰のものか分からない自転車を自転車立てから外して言う。
「俺はやっぱりピストにするぜ」
 それも手だ。取り回しは悪いが、最も重要な長さがある。
 村田は前輪と後輪の外された、自転車のフレームだけになったものを見つけて言う。
「俺はこれにするわ」
 今井はため息混じりに自転車立てから自転車を外した。
 立川さんが俺と同じレンチを手に取った。
「俺と知己島はトドメを刺す係だ。そんな余裕があれば、だが」
 村田がフレームの持ち方をあれこれ試しながら言う。
「どこへ向かうんだ? 観客がゼロとはいえ、ドームの中にはまだ数百人いるはずだ。生き残りにこのことを知らせてやろう」
 俺は静かに言った。
「よそう、村田。これがどこから始まったのか俺たちには分かってない。俺たちがそうされたように、俺たちも自分の生き残りを最優先するんだ。ドームを脱出する」
 今井が訊いてくる。
「どこから出るんですか?」
 ここからだと近い道は二つ。管理室から地下通路を通り宿舎へ出るか、敢闘門からバンクに出るか。バンクに出ればアリーナの搬入口を抜けてもいいし、観客席からメインエントランスへ出ることもできる。他の関係者出入り口へは、遠いうえに入り組んだ通路を行かなければならない。
 俺は提案してみた。
「バンクに出よう。脱出口の選択肢が増える。観客はいないし、広い。足で逃げ切れる」
 だが、賛否を聞く時間はなかった。
 安達がうわずった声で小さく叫ぶ。
「く、黒丸……?!」
 みなが安達の視線を追った。
 ちょうど通路状の部分が始まるところ、床の色が緑から青に変わる場所に、黄色いシャツの黒丸がいた。
 黒丸は両腕と両足を失い、短くなった四肢で這っていた。
 片目を失った顔をのけぞらせて、唸り声を上げる。
「ヴぉおおおおおッ!」
 その途端、ローラー室を隔てている防火シャッターも、内側からガシャガシャと打ち鳴らされた。
 やつらがどれほど連携をしてくるのか分からない。けれども、俺たちに猶予がなくなったのは確かだった。
「バンクに出るぞ! 全員、敢闘門へ!」
 立川さんの号令と共に、俺たちはそれぞれの得物を持って走り出した。
「黒丸ッ!」
 這い寄る黒丸を安達が自転車で張り飛ばし、俺たちはスロープの上り口に達した。
 スロープを上がった先の広場には赤い円柱が並び、自転車立てとベンチが設置されている。その左側の奥がバンクへの扉、敢闘門だ。 右側は、柵と段差で隔てられている平坦な通路が続き、管理室がある。
敢闘門近くまでと、管理室の出入り口までが見渡せた。
 敢闘門までのあいだに十体、段差の下の通路には十体以上いる。
 ヘッドセットを付けた運営員に、スーツを着た関係者、それに色とりどりのシャツを着た競輪選手。誰もが致命傷を負い、血だらけで腐りかけていた。
 競輪選手は、出走予定者の数に比べるとずっと少ない。だが、顔見知りばかりだった。
 山田、森、平瀬、秋田、山口、高田、糸久……みんな腐っちまいやがって!
「うおおおおおおッ!」
 俺たちは雄たけびを上げ、全員一丸となって突進した。
 スロープを登りきった場所に一体立っていた。
 そのゾンビを、村田が自転車のフレームでなぎ払う。ゾンビはもんどり打って、下の通路に転げ落ちた。
「ヴォオオオオオッ!」
「ヴォオオオオオッ!」
 敢闘門周辺にいたゾンビたちが俺たちに気付き、よたよたと走り寄ってくる。
 俺は叫んだ。
「怯むな! バンクに出ればこっちの勝ちだ、ゾンビを下の通路に叩き落とせ!」
 安達と村田が自転車とフレームを振り回す。ゾンビの腐った肌をこそぎ落としながら、下の通路に落とそうと苦闘する。
 俺と立川さんはレンチを振るい、下の通路から柵を越えて上ってくるゾンビを叩き落とそうとしていた。
 腐敗臭のなか、じりじりと進んでいるものの、腐肉の包囲は厚かった。
 村田が大声で言った。
「寄せ付けないのがやっとだ! このままじゃ……」
 安達も喘ぎながら叫ぶ。
「コイツら足腰がしっかりしてて上手くいかない!」
 くそ、人手が足りない。
 ……そういえば、今井はどこだ?
 俺が今井の身を案じはじめ時、背後からリズミカルにペダルを回す音が聞こえた。
 自転車が猛烈なスピードで、俺たちから離れた場所を通り過ぎていく。
 今井だった。
 今井め、最初から後ろにいたのか! 俺たちを囮にするつもりで!
 ゾンビに包囲された俺たちなど意に介さず、今井の自転車はまっすぐ敢闘門へ向かっていった。

2012年5月12日土曜日

半鐘を鳴らす手(1)

四月十四日、午後九時。
 福岡県北九州市小倉北区、北九州メディアドーム。
 その時、俺たち七人は全員、ドーム二階にあるローラー室でウォーミングアップを行っていた。
 ローラーはルームランナーの自転車版だ。鋼鉄のローラーの上に自転車を置き、筋肉の具合を確かめながらペダルを漕ぐ。
 俺たちが出走するのは十一時十七分。
 今日の最終戦であり、今回のミッドナイト競輪の決勝だった。
 全員がA級一班に所属し、昨日の夜中に行われた予選で一位を取っている。
 下は二十六歳の安達から、最年長は四十二歳の立川さんまで、誰一人とっても侮れない。
 だが、俺ももう二十九歳。今がピークだと感じる。S級入りを目指すならば、今日も勝つしかなかった。
 そろそろウォーミングアップも十分だ。
 そう思ったとき、同期の村田が俺の横に立ち、首をひねった。
「なんだ? どよめきが聞こえないか、知己島……」
「どよめき?」
 俺は脚の回転をゆるめ、ゆっくりと車輪を止めた。バーをつかんで身体を支え、耳を澄ます。他の選手がローラーをまわす音しか聞こえなかった。
 ペダルから足首を外しながら村田に言う。
「特にどうっていうことはないな。どんな感じだった?」
「どんな感じって……、このメディアドームでどよめきって言ったら、観客の歓声しかないだろ?」
「空耳だ」
 俺は断定した。
 観客の歓声などあるわけがない。
 普通のナイター競輪とミッドナイト競輪の違いは、ただ時間帯だけじゃない。
 経費削減のため、ミッドナイト競輪では一人の観客も入場させないのだ。投票券は電話とネット回線を通じてのみ発券され、レースの模様は放映によってだけ観戦できる。
 観客のいない閑静としたドームのなか、俺たちは真夜中のしじまを貫いて戦う。
 今もバンクではレースが行われているが、どよめきなど起こるはずはなかった。
 俺は言った。
「レースに対する集中力が高まってるんだな。武者震いみたいなもんさ」
「そんなもんかねぇ……」
 村田の呟きの半分は聞こえなかった。
 ローラー室の中央あたりから、ガシャンと大きな金属音が響いて、彼の声を掻き消したのだった。
 見ればローラーの立ち並ぶあいだの床に、金属製の格子が落ちていた。
 天井の換気口から外れたらしいが……。
 日焼けした肌の立川さんが、ドリンクを片手に様子を見に行く。
「こんなもの、自然に落ちるわけないだろう、おかしいな……」
 立川さんは格子をつま先でつついた。それから換気口の真下に立って、上を見上げる。
 そこへ、人間の上半身が落ちてきた。
 腰から下はなく、脊椎と大腸の切れ端が揺れている。その血まみれの上半身は、信じ難いことに生きていた。
「ヴぁあああああぁーッ!」
 半身は立川さんにしがみつき、獣のような唸り声をあげて盛り上がった肩に齧りつく。
 俺は驚いて自転車に足をひっかけてしまって、尻餅をつくことになった。
「なんだ、コノヤロー!」
 立川さんは怒声を張り、半身を引き剥がそうともがく。
 村田と今井が駆け寄って、もみ合うようになったかと思うと、生ける上半身を床の上へ放りだすことに成功した。
 その生皮を剥がされたような赤黒い頭部に、一番若手の安達が自転車を振り下ろす。
「コノヤロー! コノヤロー!」
 安達は叫びながら、何度も自転車を打ちつけた。俺たち競輪選手は上半身の筋力だって相当なものだ。安達の自転車はあっという間に車輪が歪み、使い物にならなくなる。
 生ける半身の頭が割れ、その動きとうめきが止まった。紫色に変色した脳漿がはみ出している。
 安達はフレームの変形した自転車を投げ捨て、放心したように立ち尽くした。
 俺も立ち上がり、恐る恐る近づいていく。
 このローラー室にいた七人全員で、死体を取り囲み、見下ろす。鼻腔にまとわりつくような腐敗臭が、辺りを満たしていた。
 荒い息をつきながら、立川さんが言う。
「怪我はないか、みんな?」
 村田と今井が無事と答え、俺たちの目は立川さんに向けられた。
 立川さんの体は黒い血糊でべったり濡れていたが、彼は気丈に言った。
「俺もプロテクターが無かったらまずかったな……怪我はない」
 ここにいる七人のうち、俺も含めた半数は、レースのためにプロテクターを身に着ける。シャツの下にはポリカーボネートの鎧があったのだ。人間の噛み付きくらい防げる。だが、眼下に横たわるこの存在はなんなのか?
 割れた頭から脳髄を溢れさせる、ボロ雑巾のように傷んだ人間の上半身。顔は腐敗と損傷が激しくて、年齢がわからない。汚れたワイシャツとネクタイを着けていることから、換気口に入って作業をするような者だとも思えなかった。
 立川さんに次ぐ年長者、三十三歳の近藤さんが呟く。
「コイツは何なんだ……?」
 俺は口をつぐんで一つの単語を飲み込んだ。
 ゾンビ……。
 それ以外に何がある?
俺の右に立っていた安達が、頭に手を当てて嘆息する。
「お、俺、やっぱり人を殺しちまったのか……いや、でも……」
 俺は安達の肩をつかんで言った。
「しっかりしろ、安達! こんな状態で生きてる人間がいるか! こいつは……」
 俺は断固として続けた。
「こいつはゾンビだ!」
「よせよ、知己島」
 近藤さんが呆れ顔で言うのに、今井も続いた。
「ゾンビなんて理屈が通りませんよ、知己島さん……」
 俺は二十七歳の今井に言い返す。
「理屈っていったか、今井。身体を真っ二つにされたうえで、こんなに腐り果てた人間が換気ダクトの中を動き回ってる理屈があるのか? こいつは昨日今日に死んだ奴でさえない」
 立川さんと村田は、思案顔で黙っている。
 安達と同期、同い年の黒丸が言った。
「どっちにしろ誰か呼んでこないと。死体があるんだから、警察にも連絡しなきゃ」
 黒丸は踵を返して走っていく。
このローラー室を出れば、車両を整備する検車場だ。検車場は広く、敢闘門までつながっている。敢闘門、つまりバンクへの出入り口まで行けば、確実に連絡が取れる。
 俺たち競輪選手はレースの前日から、このドームに隣接された宿舎に入らなければならない。携帯電話などの通信機器を持ち込むのは禁じられ、外部との連絡は手間がかかる。
 もっとも、こんな状況に陥ることは前代未聞だろうが。
 警察と聞いて青ざめた安達を励ます。
「安心しろ安達。お前は全員のためにやったんだ。今度は俺たちが守ってやる」
 ゾンビには懐疑的な近藤さんも続く。
「そうだな。それは確かだ……」
 その時、遠く低い悲鳴が聞こえた。
「黒丸!」
 口々に叫んで駆け出そうとする俺たちを、立川さんが押しとどめて言う。
「待て! 俺が様子を見てくる。みんなで危険を冒すな!」
 足音を立てないような小走りで、立川さんが両開きの扉を抜けて行った。俺たちも扉の近くに待機する。固唾を飲んで待つこと数秒。足音も高く、立川さんが扉から飛び込んできた。
「黒丸は手遅れだ! 来るぞ、動きが早い!」
 俺たちは浮き足立った。
「武器になるものはないか!」
 誰かの叫びに安達が応える。
「ピストしかねぇ!」
 安達はひしゃげた自分の自転車の代わりに、黒丸の自転車を持ち上げた。
 俺たちはそれぞれ自分の自転車を持ち上げ、大鎌のように構えて待ち受けた。
 何が来るのか直感では理解しても、理性がやはり途惑わせる。
 自分たちの滑稽さに力が抜けかけた時、扉を弾くようにしてそれが現れた。二体のゾンビが。
 片方は首がちぎれかけてぶらぶらしている。もう一体は腹がぱっくりと口を開け、内臓が無くなっていた。手には大きなスパナを持っている。
どちらも白いシャツに水色のズボンを身に着けているし、顔に見覚えがあった。検車員だ。さっきまで生きて仕事をしていた人間が、傷だらけですでに腐りかけている。
 言葉をかけたくなった逡巡を突かれた。
「ヴォオオオオオオオォッ!」
 ゾンビが唸りをあげ、一番前に出ていた安達に向かってスパナを投げつけた。
 意外な行動に面食らった安達が、ゾンビの突進を受けて押し倒された。
 だが、安達は腕を突っ張ってゾンビの上体を押し上げる。
 俺はそこをめがけて、なぎ払うように自転車を振るった。
 ゾンビは安達から離れ、ローラー台の上に倒れこむ。
 俺はさらに自転車を振るい下ろしたが、ローラー台の横にあるバーが邪魔な上に、腹筋のこそげ落ちたゾンビが起き上がろうとする動きは、まったく予測しにくかった。
 とても頭を潰すほどの打撃は与えられない。
 もう一体は立川さんと村田、今井が相手にしているが、そっちもうまくいってなかった。
 なんとか自転車をふるって千切れかけた首を落とそうとしているようだが、四肢のそろった相手にふらふら揺れる自転車の前輪では分が悪い。
 抜け目なく出入り口の扉に立っていた近藤さんが叫ぶ。
「ローラーを出るんだ! ここは袋で逃げ場がない!」
 直後、近藤さんの背後から、皮膚のめくれた灰色の腕が巻きつけられた。その腕の持ち主が近藤さんの首筋に喰らいつく。
 検車場に併設されている売店の女店員だった。

2012年4月30日月曜日

北九州市短篇集(仮)について

■いきさつ

元々テキスポで本を作るつもりだったのですが、テキスポがなくなっちゃいました。
北九州市にまつわる小説や詩などを集めた本を作ります。


■媒体

とりあえず、パブーに無料本を作る予定です。
あわよくば、ささやかなコピー本 などを作って、文学フリマに出せたらいいですねえ。


■創刊号

とりあえず、創刊号として北九州市七区の作品を集めます。
あわよくば、二号三号と……。


■参加者(あいうえお順 敬称略)

雨森……戸畑区、 門司区担当
あやまり堂……八幡西区担当  木屋瀬川合戦(1/3) (2/3) (3/3)
シゾワンぷー ……小倉北区担当
山田佳江……若松区、八幡東区担当


■締め切り

6月末くらいでどうでしょうか。


■編集

誰もいなかったら山田がやります。


■タイトル

北九州市短篇集(仮)ですが、短編というには短すぎたりする作品もあったりなので、
作品集のタイトルを募集します。
コメント欄に書いておいてくれると嬉しいです。
たくさん集まったら投票などするかも知れません。




こんな感じでゆるゆる進んでいっております。

2012年2月6日月曜日

【北九州短編集】 木屋瀬川合戦 (3/3)

【北九州短編集 参加作】

木屋瀬川合戦(その3・完結)

あやまり堂

 鮪の源太は、正月の大評定において、
「長男は色黒く、骨柄は肥えたりといえども、不器量なり。智慧はあっても人の嫌う黒智慧ばかり。
 下衆、下郎の類と交るなど行状も甚だ悪し」
 と決めつけられ、次男の鯛の源八に跡目をとられて意気消沈、
 それから回遊放浪の旅に出ていたのであるが、
 今日ただ今、一族の大事を聞いて駆けつけたのであった。

 源太は、時速百キロにも達するという鮪の遊泳速度で一気に網を突き破り、瀕死の仲間を解放すると、
「あきらめるな。こんなところで無駄死にしてどうする」
 と、大きな体を震わせて叱咤激励、戦局は一気に海側有利になったと見えた。

 と、ここで――。
 海・川両軍の争いを無益なものとして、和議を結ばせようと、
 はるばる尾張国より、尾張大根細長が、検視として筑紫へ下向してきたのである。
 供は大勢の八百屋物に、豆腐、菎蒻という威儀めかした一行。
「無益な戦いは止めよ」
 と一声仰せがあるや、たちまち松茸上人を初めとする近隣の名士豪族が恐懼し、
 両軍へただちに和睦を進言。
 川側はもとより少数のことで和議に異論はないし、海側でも鮪の源太が、
「平和こそ第一だ。こんなところで争えば付近の漁夫の利となるばかりで、
 我らには少しも得にならぬではないか」
 と、弟や鱸左衛門を叱り飛ばし、
 また大将である鯨入道も、細長卿や、同行の貴人・焼酎納言胸焼(むねやき)卿に逆らってまで
 この戦を続ける気は無かったため、結局、細長卿の提案を呑むことに決った。

 講和会議の席上、尾張細長卿は、
「料理は時節もあり、海川の魚関係なく楽しむべきもの。
 あらゆる海産物、野菜、酒、みな和合してこそ美味となる。
 食材どもが不和となれば、講座、婚礼、諸々の祭礼に客対応、
 あらゆる場面において差し支えが生ずるものだ。みな後々まで和合せよ」
 と、両軍の大将に諭したことで、この、何とも馬鹿らしい木屋瀬川合戦は終結するのだった。

 ――以上が、木屋瀬川合戦のあらましであるが、
「逆鱗余聞」では、駆け落ちした鮎姫と鰻之介のその後が語られていない。
 だが在郷の稗史、伝承のたぐいと、「逆鱗余聞」の断片をあわせて語れば、
 二人のその後は、だいたい以下のとおりになる。

 八月末に、木屋瀬川の城を抜け出た二人は、そのまま川をさかのぼり、
 懸命になって、花の滝、鮎返しの滝と呼ばれる難所を越えて、
 九月初旬、八木山中にある古刹、名正寺へ入った。
 ここの住職、松茸上人と鮎姫は旧知の間柄であり、二人はこの地でしばらく、下界の騒擾とも無縁の、
 幸せな日々を送ることができたようである。
 が、城中での贅沢に慣れた身に、寂しい山奥の暮しは耐え難く、
 とりわけ女漁りを趣味としていた鰻之介にとって、鮎姫一人を愛して月日を送るなど、
 とうてい出来る相談ではなかった。

 次第に疎遠になる間柄。

 やがて尾張細長卿の九州上陸にあわせ、松茸上人が山を下りるというまさにその日、
 鰻之介は書き置きさえ残さず、するりと寺から逃走してしまった。
 百年の恋も、冷めればむなしい過去だけが残る。
 鮎姫は男の薄情を恨んだものの、自分も、以前の燃え上がるような恋心を持たないことを悟って、
 追いかけることもせず、そのまま迎えが来るまで、ぼんやりと、寺の一室で昼夜を過していたという。
 その後、鮎姫が誰のもとへ嫁いだのか、定かでない。

 一方、平戸沖では、鮪の源八が、鯨入道の跡目相続人と定められた。
 また、今回の不始末の責めを負い、鱸左衛門の追放が決ったが、
 騒動の道化となった鯛の源八が取りなして、執権職の剥奪だけで済まされた。

 その後――。
 いくらもしないうちに、権力を失墜させた鱸左衛門の屋敷に、
 にょろりとして細長い、例の鰻之介によく似た新参者が仕えるようになった。
 だが当人に聞けば、
「それがしは、穴子之介と申します」
 とのことであった。





(了)

2012年2月2日木曜日

【北九州短編集】 木屋瀬川合戦 (2/3)

【北九州短編集 参加作】

木屋瀬川合戦(その2)

あやまり堂


 鮎姫の書き置きにびっくりしたのは、鯉の将軍と、妻の鮒夫人である。
 だが、初めこそ浅はかな娘よ、裏切り者の鰻よと激しく憎んだものの、
「もとはと言えば、姫の気持も聞かず、海の者と無理に結婚させようとしたわしらが悪いのだ」
 と親の情を起こし、とにかく今は娘の将来を憂うだけとなって、
 やがて結納の打ち合せに再訪した鱸左衛門に対し、
「支障が出来たゆえ、この話は無かったことに」
 と通告してしまった。

 これでは鱸左衛門、おさまるわけもなく、
「何で今さらそのようなことを。すでに決めたことなれば、
 何としても姫をお連れし、祝言を上げていただきますぞ」
 と激しく憤り、川魚の分際で生意気な、と言わなくても良いことまで口にしたため、
「平鱸めが、我らが将軍の仰せに逆らうか」
 と、血気盛んな海老の長髭、がざみの次郎といった若い連中の怒りを買ってしまった。

「海魚がどれほど偉いのだ」
 と長髭、次郎は怒りにまかせて鱸左衛門に飛びかかるや、これを押さえつけ、
 殴る、蹴ると、さんざん辱めてやった後、強引に追い返したのである。

 こうなると、あとは意地尽くである。

 平戸沖へ逃げ帰った鱸左衛門は、自分の責任になってはたまらないから、
 破談にした鯉の将軍たちを激しく罵倒、悪口雑言、徹底的に誹謗した。
 これを聞くや、面目を失った花婿・鯛の源八などは真っ赤になって怒り、
「おのれ憎き川魚ども。この上は一戦に及んで奴らを打ち破り、鮎姫を奪い取って、
 残った川魚どもは皆殺しにしてくれる」
 と、各地に兵を催促すれば、鱶(ふか)の大口肝太(きもふと)を筆頭に、
 鉄砲の筒先を揃えた毒ふぐ太郎や、鰤の一党、土佐沖からは鰹の一団が集まり、
 さらには鮟鱇、かます、手長蛸、なまこに海月、伊勢海老などという連中まで大挙して着到。
 総勢百万余騎の大軍で、木屋瀬川の河口をふさいだ――と「逆鱗余聞」に書いてある。

 一方の川魚側も、攻められれば応戦するまでと、
 鯰の五郎を将監に、鰌(どじょう)鈍八、津蟹の次郎、海老の長髭、
 亀、獺(かわうそ)、すっぽんなど、あらゆる川の仲間を集めて気勢を上げたが、
 総数はわずかに三百余騎。
 援軍をあわせても、海の大軍と比べればあまりにも心細い軍勢であった。


 こうして、木屋瀬川合戦が始まる。
 合戦が始まったのは、「逆鱗余聞」によれば九月十六日のことである。

 海勢、真っ先に木屋瀬川へ入ったのは、一番手の大将・鱶の大口肝太で、
「平戸沖に隠れもなき勇士、鱶の大口肝太とは我がことなり。
 鯉将軍の身内に、目白、口広、髭長、まだら、ぬらくら鯰とか申す者があると承る。
 いざ見参、見参」
 と、大音声を上げれば、鯰の五郎、水面へ飛び上がって、
「大音上げて呼ばわることこそ運の尽き。それ、あそこの腐れ鱶を、すり身の蒲鉾にして食ってやれ」
「よし来た」
 と、獺兄弟が躍りかかって鱶の横腹へ食いつくので、
「やや。一同、肝太を討たすな。かかれ、かかれ」
 と、慌てて毒ふぐ太郎旗下の鉄砲隊が攻めかかる。

 ここで、
「今だ」
 とばかりに川縁に展開していた川魚方の援軍、井口茸人(たけひと)が号令、
 きのこ軍が総力で、そうれ、そうれ、と川底へ沈めていた網を引き上げたから、
 あっという間に、海魚は一網打尽にされてしまった。
 口呼吸も出来ぬ彼らは、ぱくぱくと、声も発し得ず目を白黒させるばかり。

「勝ったぞ」
「今だ、皆殺しにしろ」
 と川魚党が攻めかかろうとする、その時だった。
「待て、者ども」
 と、沖合から一直線に遡上してきたのは、鮪の源太すなわち、
 家督を弟に奪われた鯨入道の長男坊であった。


(つづく)


2012年2月1日水曜日

【北九州短編集】 木屋瀬川合戦 (1/3)

【北九州短編集 参加作】

木屋瀬川合戦

あやまり堂


 北九州市域の西端に、遠賀川という川がある。
 九州で唯一、鮭が遡上する一級河川であって、
 古くは筑豊の炭鉱から大量の石炭を運ぶ重要な川であった。
 ほとりに成立した宿場名により、木屋瀬(こやのせ)川ともいう。
 木屋瀬の宿は、現在でこそ北九州市外れの、さびれた古い町に過ぎないが、
 近代までは、遠賀川の水路と、長崎、赤間両街道の要衝として、たいへんに賑わっていた。

 木屋瀬川に、ひとつの奇譚がある。
 明治時代、村上昇平という人物によって書かれた「逆鱗余聞」という小説である。
 この小説によれば、百万匹を超える海の魚と川の魚とが、この木屋瀬川において、
 激しくもむなしい戦争に及んだというのである。

 ことの起りは、ある婚礼話であった。
 肥前の国、平戸沖に住む鯨入道味善(あじよし)は、西海の覇者として長く周辺海洋に君臨していたが、
 寄る年波に危機感を覚えてある年の正月、衆望のある次男、鯛の源八郎味高(あじたか)に嫁をとり、
 跡目を相続させる旨、一同に披露した。
 むろん、西海の覇者の子息の婚礼であるから、政略結婚である。

「どこかに息子の嫁にふさわしい娘はおらぬものか」
 と尋ねる鯨入道に、入道家の執権、鱸(すずき)左衛門成善(なりよし)が進み出て、

「以前それがしが木屋瀬川を遡り、鞍手郡の寺院に参詣した折、たいへん麗しい姫君を拝見しました。
 御名を尋ねれば、木屋瀬川の将軍、鯉の鰭高(ひれたか)公のご息女、鮎姫さまとのこと。
 御身内である海魚の中よりご子息の嫁御を取れば、
 外戚だ、一族の専横だのと、要らぬ紛擾が出来るは必定。
 ここは大殿の勢力拡大のためにも、新たに、川の者と手を結ばれるが最善と存じます」

 と、要するに執権たる鱸家に強敵をつくらぬための献策を行って、
 認められるや勇躍して木屋瀬川を遡上、鯉の将軍家へ婚礼について談じ込めば、
「小川育ちの姫魚が、千尋の海の妻女となるか。たいそうな出世だ」
 と、将軍もこの政略結婚を喜んで、嫁入り道具の手配に饗応の支度と、話はとんとん拍子に進んだ。

 ところが、当の鮎姫は承知しない。
「なぜ私が、そんな身も知らぬ者のところへ、まして海などへ嫁に参らねばならないのですか」
 と、側近の鰻之介に不満を漏らせば、鰻之介にもひそかな思慕の心があったから、
 姫様を必死に掻き口説いて、
「ともに逃れ出ましょう」
「まことですか。実は、私も以前からおまえのことが」
 と、語り合った鮎姫と鰻之介は、ある夜ひそかに駆け落ちしてしまった。


(つづく)