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2012年6月2日土曜日

半鐘を鳴らす手・完結篇

  俺たちは現状維持に気を配りつつ、横目で今井の姿を追う。
  今井は疾走し、敢闘門そばまでたどり着いた。だが自転車はタイヤを擦りつつ、壁に激突する。
 今井は落車して転がった。
  俺たちの自転車、ピストにはブレーキが付いてない。今の状況下では壁に当たって止まるしかなかった。ここまでは今井も計算していたはずだ。しかし、アイツは運がなかった。
 落車したときに足をひねったらしい。
「今井!」
「いま行くぞ、今井!」
 俺と立川さんは叫んだ。 
  俺たちは裏切り者であろうと、今井を助けたかった。
  危険を承知で、打撃の手を一方向に集中する。俺たちはわずかに今井に近づいた。だが、痛みを感じない様子のゾンビたちが、すぐに立ちふさがる。 
  今井は立ち上がったが、のろのろとびっこを引きながら門へ向かう。
 そこを黒服の運営員に捕まった。さらに、赤シャツの競輪選手が今井の肩を押さえ、肉に噛み付く。
 そばの階段から、破れたスーツを着た者や、他の競輪選手が上がってきて、今井に群がった。一度捕まれば終わりだ。
「うわぁあああああっ!」
 今井の絶叫が響き渡る。
 俺たちの周りのゾンビが、それを耳にしてよだれをたらし、注意を今井に向けた。
 立川さんが声を張る。
「今井の犠牲を無駄にするな! 一発食らわしたあと、門までダッシュだ!」
 立川さんは、今井の裏切りを美談に変えた。細かいことにこだわる必要はない。
 俺は号令を出した。
「いまだ!」
 俺たちは自転車を振るい、レンチで殴りつけ、最初の囲みを突破した。
 俺たちは駆ける。
 進路上に存在するゾンビは、こちらか今井か躊躇した隙に殴り飛ばす。
 うまく行っている。今井の新鮮な血の臭いが、奴らをかく乱しているに違いない。
 ゾンビたちが群がり咀嚼する、今井の近くを通り過ぎた。今井はひどい有様だった。首が外されていたので、もう蘇ることもないのかもしれない。
 貪欲な二体のゾンビが、俺たちを目にして立ち上がった。他に追ってくる者もいた。
 だが、その時俺はたどり着いていた。
 白く輝く敢闘門に。
 俺の背後で、村田がゾンビを打ち据えながら言った。
「開けろ、知己島!」
 敢闘門には、目の高さの位置に外を覗ける隙間が付いている。
 だから俺には見えていた。
 それでも俺は敢闘門の右半分を引き開けた。
 そして、絶望とともに呟くしかなかった。
「もう……逃げ場がない……」
 強烈な腐敗臭が鼻をつきぬける。
 バンクを取り巻く無人のはずの観客席には、おびただしい数の生ける死者がうろついていた。目の前の競技バンクはドームの二階にあり、その内側はすっぽりと抜けている。床が一階にあるアリーナだ。そこも爛れ傷ついたゾンビたちでいっぱいだった。
 俺たちの晴れ舞台、バンクの上も。
 そこかしこに小さな群れができ、競輪選手や審判員が、倒れた仲間を喰らっていた。
 誰がドームへの入り口を開けたのかは、もはや問題じゃなかった。
 この北九州メディアドームの外、小倉北区の市街は、すでに奴らが溢れているのだった。
 俺たちが宿舎に入ったころには、静かに始まっていたに違いない。
 小倉では暴力事件が多くなっているようだから気をつけろ、と注意されていた。
 俺は、いつものことだと気にしなかったが、それは前兆だったのかもしれない。
 今晩、この今、臨界点に達し、迸るように街を支配した腐敗と飢餓の。
 どよめきのような唸り声がドームを満たしているせいで、気付くのが遅れた。
 俺は唐突に左足をつかまれ、アキレス腱を食いちぎられた。
 足のないゾンビが、敢闘門の裏側に潜んでいたのだった。
「畜生が!」
 俺は激痛が襲ってくる前に、そいつの頭を蹴り飛ばした。身体を支えきれずに倒れる。
「よくも知己島を!」
村田が横に飛び出してきて、フレームでその頭を刺し貫いた。
 俺は左足全体に広がる痛みに起き上がれず、脂汗をかいてうめく。
 立川さんと安達が飛び出してきて、門の左右に回る。門を閉じ、端から押さえて開かないようにした。
 村田が肩を貸して立たせてくれた。
「しっかりしろ、一口やられただけだ!」
「ああ、ああ」
 俺はなんとか答えたが、痛みは左半身に広がり、痺れかけていた。こんなのは普通じゃない。もう、長くはないと直感した。
 敢闘門が内側から激しく連打される。
 門を押さえながら、立川さんが言う。
「どうする? 外も奴らでいっぱいだ、逃げ場がない!」
「でも、外に出ないと助かりません!」
 村田が怒鳴り返した。
 敢闘門がたわみ始め、安達が悲鳴のような声を出す。
「ここも、もう持ちません!」
 この騒ぎで、バンク上でもこっちに気付いたゾンビが出てきた。
 俺は言った。
「やづらがきづいだ……」
 自分の言葉に衝撃を受けた。口が回らなくなっている。
 立川さんが諦めたように門から離れた。
「ここはダメだ。バンクのほうに下がろう。安達、離れろ!」
 俺たち四人は再び固まり、周囲に目を配りながら、ゾンビのいない方、バンクの内側へ移動していった。
 俺は村田に支えられてついていく。
「ふんばれ、知己島。俺たちは助かる、助かる……」
 村田の励ましが、俺の意識をつなぎ止めていた。村田は頼りがいのある奴だ。うまそうな腕をしているだけはある。
 俺は一瞬の連想を打ち消した。
「うぐぅぅぅぅ……」
 唸って人間の魂を奮い起こす。友情を思い出す。
 バンクを横切ったところで立川さんが動きを止め、小声で言った。
「……どこへ……行く?」
 俺たちはバンクの内側で追い詰められていた。血まみれの腐りかけた奴らにぐるりと囲まれ、そいつらが呻きとともに輪をせばめてくる。
 敢闘門もこじ開けられ、中からゾンビたちが溢れ出す。
 奴らにも感情の名残りがあるのだろうか。俺たちに逃れる術がないと知り、まるでこの状況を楽しんでいるように、ゆっくりと近づいてくる。
 このままでは誰も助からない。
  俺は決意した。
「お、おでがおどりに……なる!」
 そう言って振り上げたレンチが固いものにあたり、甲高い音が響いた。
 レンチが、釣鐘型の半鐘に当たっていた。小倉競輪場だった時代から引き継がれ、中央が虹を意味する五色、アルカンシェルに塗られた半鐘は、俺の後ろに吊り下げられていた。
 その音が鳴り渡った瞬間、生ける死者たちの唸りが止み、動きが止まった。
 俺たちも息を呑む。
 それから、俺の頭がまだ機能することを、何かに感謝した。
 俺はレンチで半鐘を続けざまに打ち鳴らした。ちょうどレースで最後の一周が始まるときのように。
「ヴおおっ、ヴホッ……」
「オオオッ、ボホォ……」
 半鐘の響きに連れて、ゾンビたちに動揺が走る。俺たちに対する興味をそがれたように、濁った目で辺りを見回している。
 俺はさらにレンチを振るった。
「ヴホッ、ヴオオオッ」
 口々に喘ぎながら、元競輪選手だった屍たちが、とうとう自転車に手をかけ始める。
 そして生前とは比べられない拙さだったが、自転車でバンクをよろよろと走り始めた。
「オオオオオッ!」
 足が完全じゃなくなっている者たちは、地面を叩きながら悔しそうに唸る。
「どういうこった……」
「何をした、知己島?」
 安達と立川さんが呆然と呟く。
 俺には分かっていた。失くしかけの人間性からの最後の贈り物に違いない。
 周囲に存在する腐りかけの者たちは、死してなお、このメディアドームに引き寄せられてきた。生前は相当な競輪好きだったはずだ。
 さらに競輪関係者なら、この鐘の音を聞いて奮い立たないわけがなかった。
 溶けかけの脳から、魂の残渣を蘇らせる。
 かき鳴らされるジャンの連打には、その力があったのだ。
 俺の身体からは痛みが消え失せ、ふわふわとした麻痺感に包まれていた。ただ、飢えと乾きだけがだんだんと募ってくる。
 もう自力で立っていられるので、村田の腕を振りほどいて言った。
「むらだ……」
 半鐘の音で聞こえなかったらしく、村田は顔を近づけてきた。思わず、よだれが湧いてくる。俺はこちら側に踏みとどまりながら言葉をつむぐ。
「むらだ、いまならいげる……じか通路から宿舎に逃げろ……おではのごる……」
 敢闘門からは、残った競輪選手が自転車で出てきてバンクを走り始めていた。運営員やスーツを着た関係者の何人かも自転車に乗っている。彼らも観衆の見守るバンクを走りたかったのだろう。
 他のゾンビたちは低くのどを鳴らしながら、よろよろと走る自転車を惚けたように見つめる。
 村田が肩をつかんできた。
「知己島、おまえをおいていけるか!」
 俺はもう、いつまで喋れるか分からない。
 半分だけ欲望に従い、歯をむき出して言った。
「おまえを食いだい」
 村田は一瞬目を見開き、それから後ろを振り返って、安達と立川さんに何事か伝えた。
 半鐘の音と死者の唸りが混ざる中、安達が無言で俺に頭を下げた。立川さんは目を閉じ、俺に向かって合掌する。
 村田が大声で訊いてきた。
「最後にできることはないか、知己島」
 俺の飢えは限界に近かった。正直に言わずにいられなかった。
「腕を一本おいでいげ……ゆびざきでもいい……ちょっどでいいんだ……」
 村田はうつむき、目からうまそうな汁を流しながら言った。
「腕はやれん、知己島。だが、おまえのことは一生忘れない!」
「そうが……いげ……」
 俺は心底がっかりしたが、まだ分別はわずかに残っていた。
 村田は口元を押さえながら、安達と立川さんを促して敢闘門へ向かった。
 ゾンビたちは目もくれない。
 俺の肉たちが遠ざかっていく。俺の肉、俺の大事な肉……だからこそ守らなければならない。俺は欲望と魂の狭間で叫んだ。
「ヴぉおおおおおおおおッ!」
 首をのけぞらせて叫びながら、必死に半鐘を叩き続けた。
 腐りかけの観衆が見守るなか、血みどろで傷だらけのレーサーたちがバンクを回る。膿と内臓をこぼしながら。
 村田たちがどうなるのか分からない。
 だが、俺は続けなければならなかった。
 このメディアドームで最後の競輪を。おそらく北九州で最後の競輪を。
 もしかしたら、地上で最後かもしれないミッドナイト競輪を。
 この半鐘を鳴らす手が、腐り落ちるまで。
 すべてが無害に腐り果てるまで……。


「半鐘を鳴らす手」もしくは「ミッドナイト競輪of The Dead」完

 無計画書房版特別エンディング
 すべての惨劇は過ぎ去った。
 小倉の街は静かな朝を迎える。
 街のいたるところ、通りの隅々に干からびた無害な屍が横たわる。
 息吹の気配が無いなかでも太陽は昇り、北九州メディアドームを照らした。
 自転車競技に使われるヘルメットを模ったといわれる、滑らかなフォルムが白銀に輝く。
 そのメディアドームを望みながら、一人の男が歌っていた。
 がっしりした肩から吊り下げたギターを、無心にかき鳴らしながら。

 オーイ 夢のラップもういっちょ
 さあ 夢のラップもういっちょ
 
 弔いの歌は風に乗り、孤独に流れていった。

2012年5月23日水曜日

半鐘を鳴らす手(2)

近藤さんの体が痙攣しながら崩れていく。頚動脈を齧り取られては、もう意識はないだろう。今、この場では助けるすべもない。
 近藤さんは死んだ。
 だが、彼が言ったことは正しい。ゾンビの数がどれほどか分からないにしろ、出入り口を押さえられたら、俺たちは助けを待って篭城するのも難しい。それはあまりに絶望的だ。打って出るしかなかった。
 俺は安達を襲った検車員にもう一撃、自転車を振るい下ろしてから言った。
「安達、タイミングを見て俺に続け! ここを出る」
 自転車を槍のように腰だめで構える。目標は出入り口に座り込み、近藤さんの顔を齧っている年配の店員だ。
 開いている扉からは、検車場の広がりが見えた。無人だ。
「全員こっちだ! うおおおおおっ!」
 俺は雄たけびを上げて突っ込んだ。
 自転車の前輪が女店員の上体をとらえ、弾き飛ばす。俺は、その横を通過したあとに振り返り、さらに自転車を横振りして追撃する。
 女店員は転がり、柵状の自転車立てにぶつかった。
 出入り口からは、安達と今井が飛び出してきた。立川さんも続く。
 立川さんは出入り口の上に腕を伸ばしながら、ローラー室の中へ怒鳴った。
「村田、もういい! 防火シャッターをおろす!」
 俺の目の前では、首を振るって店員が立ち上がり、襲いかかってくるところだった。危険を承知の上でこいつを立たせた。立川さんと村田なら上手くやってくれると信じて。
「コイツも中へ!」
 俺はそう言いながら自転車で横殴りし、店員を出入り口のほうへ突き飛ばした。
 ちょうど出てきた村田とゾンビ店員が、出入り口で鉢合わせする。
 村田は一瞬ぎょっとしたものの、すぐに反応した。発達した太ももから前蹴りを繰り出し、店員もローラー室の中へ追いやる。
 立川さんが防火シャッターを下ろす。安達と今井が、近藤さんの遺体をこちら側へ引き出そうとしたが、それより早く中へ引き込まれてしまった。シャッターは冷厳に閉じられ、留め金をかけられた。
 俺たちは息もつかずに、周囲に視線を巡らせる。
 検車場は、直径一メートル以上の円柱数本によって支えられている、白い壁の広い空間だ。広場のあちこちには水色に塗られた自転車立てがあり、壁際に設置された棚には空気入れなどの工具が備えられている。
 さらに天井から吊るされている自転車も、まだ十台以上あった。
 今のところ、人影はない。
 俺たちは、やっと一息つくことができた。
 閉じたばかりのシャッターの向こうも静かだった。
 今井が眉根を寄せ、床の血溜まりを見つめながら呟く。
「近藤さん……今頃、奴らは……」
 確かに、そういうことだろう。奴らは近藤さんを晩餐にすることで夢中に違いない。
 しかし、俺たちがローラー室に篭っていたのは三十分がいいところだ。そのあいだに何が起こったのか?
 村田があごひげを擦りながら、俺と同じ疑問を口にした。
「まるで夢を見ているようだ。何が起きたんだ、この短時間に……」
「何が起きたかはともかく、まだ油断するのは早い。問題は、向こうだ」
 立川さんが言いながら親指で指し示す。
 血溜まりがあった。
検車場はその一角から通路上になって伸びている。扉などには区切られていない。短い上りのスロープと平坦な通路、二つの道がある。
スロープを上がると出走前控え室で、その先には白い敢闘門がある。出走前控え室の横で最終的な検車が行われるため、便宜上そこまでを検車場と呼んでいる。
平坦な通路の方は、ドームの他の区画へと続き、途中に管理室への出入り口がある。管理室とは控え室の別称で、俺たちは床に毛布などを敷き、レース当日においては一番多くの時間をそこで過ごす。
 立川さんは苦々しげに続けた。
「あそこで黒丸はやられていた。敢闘門か管理室か、あいつがどっちに向かおうとしたのか分からない。分かれ道の手前で倒れ、食われていたんだ。三人の競輪選手にな! そこへスロープの上からあの検車員たちが現れ、もっと新鮮な獲物を見つけて追ってきたというわけだ」
 安達がおずおずと尋ねる。
「黒丸の……その、遺体はどこに……?」
 立川さんはかぶりを振った。
「分からんな。だがこれだけは確実だ。向こうには……いる!」
 敢闘門近くにはレースを控えた十四人の選手に加え、運営員、関係者、テレビクルー。管理室にはレース三つ分の選手、二十一人はいたはずだ。なのに、俺たちへ異常を知らせに来る者は一人としていなかった。
 事態は静かに始まり、速やかに人々を圧倒したのだ。俺たちは運が良かったのかもしれない。まだ生き残っているのだから。
 俺は壁ぎわの工具棚に向かいながら言った。
「もう俺たちはゾンビと壁一枚さえ隔てていない。何人いるか知らないが、奴らを突破しなくちゃならないんだ。得物を探そう」
 そして、四十センチほどのレンチを片手に取った。ここにある工具の中では一番長さがあるものだった。
 安達が、誰のものか分からない自転車を自転車立てから外して言う。
「俺はやっぱりピストにするぜ」
 それも手だ。取り回しは悪いが、最も重要な長さがある。
 村田は前輪と後輪の外された、自転車のフレームだけになったものを見つけて言う。
「俺はこれにするわ」
 今井はため息混じりに自転車立てから自転車を外した。
 立川さんが俺と同じレンチを手に取った。
「俺と知己島はトドメを刺す係だ。そんな余裕があれば、だが」
 村田がフレームの持ち方をあれこれ試しながら言う。
「どこへ向かうんだ? 観客がゼロとはいえ、ドームの中にはまだ数百人いるはずだ。生き残りにこのことを知らせてやろう」
 俺は静かに言った。
「よそう、村田。これがどこから始まったのか俺たちには分かってない。俺たちがそうされたように、俺たちも自分の生き残りを最優先するんだ。ドームを脱出する」
 今井が訊いてくる。
「どこから出るんですか?」
 ここからだと近い道は二つ。管理室から地下通路を通り宿舎へ出るか、敢闘門からバンクに出るか。バンクに出ればアリーナの搬入口を抜けてもいいし、観客席からメインエントランスへ出ることもできる。他の関係者出入り口へは、遠いうえに入り組んだ通路を行かなければならない。
 俺は提案してみた。
「バンクに出よう。脱出口の選択肢が増える。観客はいないし、広い。足で逃げ切れる」
 だが、賛否を聞く時間はなかった。
 安達がうわずった声で小さく叫ぶ。
「く、黒丸……?!」
 みなが安達の視線を追った。
 ちょうど通路状の部分が始まるところ、床の色が緑から青に変わる場所に、黄色いシャツの黒丸がいた。
 黒丸は両腕と両足を失い、短くなった四肢で這っていた。
 片目を失った顔をのけぞらせて、唸り声を上げる。
「ヴぉおおおおおッ!」
 その途端、ローラー室を隔てている防火シャッターも、内側からガシャガシャと打ち鳴らされた。
 やつらがどれほど連携をしてくるのか分からない。けれども、俺たちに猶予がなくなったのは確かだった。
「バンクに出るぞ! 全員、敢闘門へ!」
 立川さんの号令と共に、俺たちはそれぞれの得物を持って走り出した。
「黒丸ッ!」
 這い寄る黒丸を安達が自転車で張り飛ばし、俺たちはスロープの上り口に達した。
 スロープを上がった先の広場には赤い円柱が並び、自転車立てとベンチが設置されている。その左側の奥がバンクへの扉、敢闘門だ。 右側は、柵と段差で隔てられている平坦な通路が続き、管理室がある。
敢闘門近くまでと、管理室の出入り口までが見渡せた。
 敢闘門までのあいだに十体、段差の下の通路には十体以上いる。
 ヘッドセットを付けた運営員に、スーツを着た関係者、それに色とりどりのシャツを着た競輪選手。誰もが致命傷を負い、血だらけで腐りかけていた。
 競輪選手は、出走予定者の数に比べるとずっと少ない。だが、顔見知りばかりだった。
 山田、森、平瀬、秋田、山口、高田、糸久……みんな腐っちまいやがって!
「うおおおおおおッ!」
 俺たちは雄たけびを上げ、全員一丸となって突進した。
 スロープを登りきった場所に一体立っていた。
 そのゾンビを、村田が自転車のフレームでなぎ払う。ゾンビはもんどり打って、下の通路に転げ落ちた。
「ヴォオオオオオッ!」
「ヴォオオオオオッ!」
 敢闘門周辺にいたゾンビたちが俺たちに気付き、よたよたと走り寄ってくる。
 俺は叫んだ。
「怯むな! バンクに出ればこっちの勝ちだ、ゾンビを下の通路に叩き落とせ!」
 安達と村田が自転車とフレームを振り回す。ゾンビの腐った肌をこそぎ落としながら、下の通路に落とそうと苦闘する。
 俺と立川さんはレンチを振るい、下の通路から柵を越えて上ってくるゾンビを叩き落とそうとしていた。
 腐敗臭のなか、じりじりと進んでいるものの、腐肉の包囲は厚かった。
 村田が大声で言った。
「寄せ付けないのがやっとだ! このままじゃ……」
 安達も喘ぎながら叫ぶ。
「コイツら足腰がしっかりしてて上手くいかない!」
 くそ、人手が足りない。
 ……そういえば、今井はどこだ?
 俺が今井の身を案じはじめ時、背後からリズミカルにペダルを回す音が聞こえた。
 自転車が猛烈なスピードで、俺たちから離れた場所を通り過ぎていく。
 今井だった。
 今井め、最初から後ろにいたのか! 俺たちを囮にするつもりで!
 ゾンビに包囲された俺たちなど意に介さず、今井の自転車はまっすぐ敢闘門へ向かっていった。

2012年5月12日土曜日

半鐘を鳴らす手(1)

四月十四日、午後九時。
 福岡県北九州市小倉北区、北九州メディアドーム。
 その時、俺たち七人は全員、ドーム二階にあるローラー室でウォーミングアップを行っていた。
 ローラーはルームランナーの自転車版だ。鋼鉄のローラーの上に自転車を置き、筋肉の具合を確かめながらペダルを漕ぐ。
 俺たちが出走するのは十一時十七分。
 今日の最終戦であり、今回のミッドナイト競輪の決勝だった。
 全員がA級一班に所属し、昨日の夜中に行われた予選で一位を取っている。
 下は二十六歳の安達から、最年長は四十二歳の立川さんまで、誰一人とっても侮れない。
 だが、俺ももう二十九歳。今がピークだと感じる。S級入りを目指すならば、今日も勝つしかなかった。
 そろそろウォーミングアップも十分だ。
 そう思ったとき、同期の村田が俺の横に立ち、首をひねった。
「なんだ? どよめきが聞こえないか、知己島……」
「どよめき?」
 俺は脚の回転をゆるめ、ゆっくりと車輪を止めた。バーをつかんで身体を支え、耳を澄ます。他の選手がローラーをまわす音しか聞こえなかった。
 ペダルから足首を外しながら村田に言う。
「特にどうっていうことはないな。どんな感じだった?」
「どんな感じって……、このメディアドームでどよめきって言ったら、観客の歓声しかないだろ?」
「空耳だ」
 俺は断定した。
 観客の歓声などあるわけがない。
 普通のナイター競輪とミッドナイト競輪の違いは、ただ時間帯だけじゃない。
 経費削減のため、ミッドナイト競輪では一人の観客も入場させないのだ。投票券は電話とネット回線を通じてのみ発券され、レースの模様は放映によってだけ観戦できる。
 観客のいない閑静としたドームのなか、俺たちは真夜中のしじまを貫いて戦う。
 今もバンクではレースが行われているが、どよめきなど起こるはずはなかった。
 俺は言った。
「レースに対する集中力が高まってるんだな。武者震いみたいなもんさ」
「そんなもんかねぇ……」
 村田の呟きの半分は聞こえなかった。
 ローラー室の中央あたりから、ガシャンと大きな金属音が響いて、彼の声を掻き消したのだった。
 見ればローラーの立ち並ぶあいだの床に、金属製の格子が落ちていた。
 天井の換気口から外れたらしいが……。
 日焼けした肌の立川さんが、ドリンクを片手に様子を見に行く。
「こんなもの、自然に落ちるわけないだろう、おかしいな……」
 立川さんは格子をつま先でつついた。それから換気口の真下に立って、上を見上げる。
 そこへ、人間の上半身が落ちてきた。
 腰から下はなく、脊椎と大腸の切れ端が揺れている。その血まみれの上半身は、信じ難いことに生きていた。
「ヴぁあああああぁーッ!」
 半身は立川さんにしがみつき、獣のような唸り声をあげて盛り上がった肩に齧りつく。
 俺は驚いて自転車に足をひっかけてしまって、尻餅をつくことになった。
「なんだ、コノヤロー!」
 立川さんは怒声を張り、半身を引き剥がそうともがく。
 村田と今井が駆け寄って、もみ合うようになったかと思うと、生ける上半身を床の上へ放りだすことに成功した。
 その生皮を剥がされたような赤黒い頭部に、一番若手の安達が自転車を振り下ろす。
「コノヤロー! コノヤロー!」
 安達は叫びながら、何度も自転車を打ちつけた。俺たち競輪選手は上半身の筋力だって相当なものだ。安達の自転車はあっという間に車輪が歪み、使い物にならなくなる。
 生ける半身の頭が割れ、その動きとうめきが止まった。紫色に変色した脳漿がはみ出している。
 安達はフレームの変形した自転車を投げ捨て、放心したように立ち尽くした。
 俺も立ち上がり、恐る恐る近づいていく。
 このローラー室にいた七人全員で、死体を取り囲み、見下ろす。鼻腔にまとわりつくような腐敗臭が、辺りを満たしていた。
 荒い息をつきながら、立川さんが言う。
「怪我はないか、みんな?」
 村田と今井が無事と答え、俺たちの目は立川さんに向けられた。
 立川さんの体は黒い血糊でべったり濡れていたが、彼は気丈に言った。
「俺もプロテクターが無かったらまずかったな……怪我はない」
 ここにいる七人のうち、俺も含めた半数は、レースのためにプロテクターを身に着ける。シャツの下にはポリカーボネートの鎧があったのだ。人間の噛み付きくらい防げる。だが、眼下に横たわるこの存在はなんなのか?
 割れた頭から脳髄を溢れさせる、ボロ雑巾のように傷んだ人間の上半身。顔は腐敗と損傷が激しくて、年齢がわからない。汚れたワイシャツとネクタイを着けていることから、換気口に入って作業をするような者だとも思えなかった。
 立川さんに次ぐ年長者、三十三歳の近藤さんが呟く。
「コイツは何なんだ……?」
 俺は口をつぐんで一つの単語を飲み込んだ。
 ゾンビ……。
 それ以外に何がある?
俺の右に立っていた安達が、頭に手を当てて嘆息する。
「お、俺、やっぱり人を殺しちまったのか……いや、でも……」
 俺は安達の肩をつかんで言った。
「しっかりしろ、安達! こんな状態で生きてる人間がいるか! こいつは……」
 俺は断固として続けた。
「こいつはゾンビだ!」
「よせよ、知己島」
 近藤さんが呆れ顔で言うのに、今井も続いた。
「ゾンビなんて理屈が通りませんよ、知己島さん……」
 俺は二十七歳の今井に言い返す。
「理屈っていったか、今井。身体を真っ二つにされたうえで、こんなに腐り果てた人間が換気ダクトの中を動き回ってる理屈があるのか? こいつは昨日今日に死んだ奴でさえない」
 立川さんと村田は、思案顔で黙っている。
 安達と同期、同い年の黒丸が言った。
「どっちにしろ誰か呼んでこないと。死体があるんだから、警察にも連絡しなきゃ」
 黒丸は踵を返して走っていく。
このローラー室を出れば、車両を整備する検車場だ。検車場は広く、敢闘門までつながっている。敢闘門、つまりバンクへの出入り口まで行けば、確実に連絡が取れる。
 俺たち競輪選手はレースの前日から、このドームに隣接された宿舎に入らなければならない。携帯電話などの通信機器を持ち込むのは禁じられ、外部との連絡は手間がかかる。
 もっとも、こんな状況に陥ることは前代未聞だろうが。
 警察と聞いて青ざめた安達を励ます。
「安心しろ安達。お前は全員のためにやったんだ。今度は俺たちが守ってやる」
 ゾンビには懐疑的な近藤さんも続く。
「そうだな。それは確かだ……」
 その時、遠く低い悲鳴が聞こえた。
「黒丸!」
 口々に叫んで駆け出そうとする俺たちを、立川さんが押しとどめて言う。
「待て! 俺が様子を見てくる。みんなで危険を冒すな!」
 足音を立てないような小走りで、立川さんが両開きの扉を抜けて行った。俺たちも扉の近くに待機する。固唾を飲んで待つこと数秒。足音も高く、立川さんが扉から飛び込んできた。
「黒丸は手遅れだ! 来るぞ、動きが早い!」
 俺たちは浮き足立った。
「武器になるものはないか!」
 誰かの叫びに安達が応える。
「ピストしかねぇ!」
 安達はひしゃげた自分の自転車の代わりに、黒丸の自転車を持ち上げた。
 俺たちはそれぞれ自分の自転車を持ち上げ、大鎌のように構えて待ち受けた。
 何が来るのか直感では理解しても、理性がやはり途惑わせる。
 自分たちの滑稽さに力が抜けかけた時、扉を弾くようにしてそれが現れた。二体のゾンビが。
 片方は首がちぎれかけてぶらぶらしている。もう一体は腹がぱっくりと口を開け、内臓が無くなっていた。手には大きなスパナを持っている。
どちらも白いシャツに水色のズボンを身に着けているし、顔に見覚えがあった。検車員だ。さっきまで生きて仕事をしていた人間が、傷だらけですでに腐りかけている。
 言葉をかけたくなった逡巡を突かれた。
「ヴォオオオオオオオォッ!」
 ゾンビが唸りをあげ、一番前に出ていた安達に向かってスパナを投げつけた。
 意外な行動に面食らった安達が、ゾンビの突進を受けて押し倒された。
 だが、安達は腕を突っ張ってゾンビの上体を押し上げる。
 俺はそこをめがけて、なぎ払うように自転車を振るった。
 ゾンビは安達から離れ、ローラー台の上に倒れこむ。
 俺はさらに自転車を振るい下ろしたが、ローラー台の横にあるバーが邪魔な上に、腹筋のこそげ落ちたゾンビが起き上がろうとする動きは、まったく予測しにくかった。
 とても頭を潰すほどの打撃は与えられない。
 もう一体は立川さんと村田、今井が相手にしているが、そっちもうまくいってなかった。
 なんとか自転車をふるって千切れかけた首を落とそうとしているようだが、四肢のそろった相手にふらふら揺れる自転車の前輪では分が悪い。
 抜け目なく出入り口の扉に立っていた近藤さんが叫ぶ。
「ローラーを出るんだ! ここは袋で逃げ場がない!」
 直後、近藤さんの背後から、皮膚のめくれた灰色の腕が巻きつけられた。その腕の持ち主が近藤さんの首筋に喰らいつく。
 検車場に併設されている売店の女店員だった。

2012年2月1日水曜日

「テキスポクラスタのだめなほう」 枚数バトル  結果発表

「1月末の公募にどうやら間に合いそうもない、
「テキスポクラスタのだめなほう」と呼ばれる人たちが、
1月末までに何枚書き上がるか競いました。

400字換算で、枚数が一番少なかった人は罰ゲームというお約束でした。



■結果発表

1月31日(火) 23時59分時点「自己申告」で、

 1位 シゾワンぷー 83.2枚
 2位 山田佳江 80枚と4行
 3位 雨森 79枚と19行

となりました。ただし……。



疑惑のツイートが。

sizowan シゾワン
@yo4e @t_amamori ワタクシ、いま戦慄してるんですよ。 テキストファイルに直して400genに突っ込んでみたら69枚しかいかないのです! でも640字詰めで52枚行ってるしなー。 ま、いいか。

yo4e 山田佳江
@sizowan ぷーさん……、オープンオフィスの400字詰に入れてみても、69枚と19行しかないんだけど。これって……。(私80枚と4行、雨森っち79枚と19行、ともにオープンオフィス換算)

t_amamori 雨森
@yo4e @sizowan O'sの400字原稿用紙にコピペしたけど68枚だったよw



そんなこんなで、当初は「自己申告」という予定だったのですが……。

t_amamori 雨森
@sizowan ここで自分が逆転して勝利宣言しちゃうのも興を削ぎそうだし、バランスをとって二人でドベというのが落としどころだと思いますよ?w

sizowan シゾワン
@t_amamori えー、アマモリさんも一緒にやってくれるならやるー。 えーん、えーん><



ということで、シゾワンぷーさん、雨森さんの、ダブル罰ゲームが決定いたしました!

つきましては、罰ゲーム「恥ずかしいテキストをツイキャスで朗読」のために、「恥ずかしいテキストバトル」を開催いたします。詳細は次の記事にて、お知らせいたします。

2012年1月24日火曜日

「テキスポクラスタのだめなほう」 枚数バトル

1月末の公募にどうやら間に合いそうもない、「テキスポクラスタのだめなほう」と呼ばれる人たちが、
1月末までに何枚書き上がるか競いますよ。

400字換算で、枚数が一番少なかった人は罰ゲームです。



■参加者

・雨森  現在64枚
・シゾワンプー  現在40枚
・山田佳江  現在53枚



■罰ゲーム

一番枚数が多かった人の書いた「恥ずかしいテキスト」を、
一番枚数が少なかった人がツイキャスで朗読します。
(棒読み不可。しっかり感情を込めて読むこと)



■締め切り

1月31日(火) 23時59分時点の枚数を、自己申告。

2012年1月23日月曜日

ミク譚は御買物中で候 fromだにゃんの詩



ミク譚曰く「のどが渇いたわお兄さま」
我、微笑ましく思えど困惑の極みに陥り候
「先にキャフェにて珈琲を嗜んだばかりではないかミク譚」
されどミク譚曰く
「だってお兄さまのおそばに居ると、わたくし動悸がしてすぐにのどが渇いてしまうのです」
ミク譚、頬を桜色に染め我を見つめ候えば、我もまた胸の高鳴りを覚え候
すわ、是が禁断の愛の始まり也哉
我、呆然と立ち尽くすばかりなり候
されどミク譚曰く
「嘘に決まってるでしょ、何考えてるの。お兄さまのイケズ」
我、微笑ましく思えど困惑の極みに陥り候

本日の萌ゑは是までとする







投稿者 千葉県在住 田淵平蔵(72)