2013年1月28日月曜日

菓子枕


 その夜、どこか遠くで鳴っている鐘の音をききながら、暗い寝室に敷かれた冷たい布団に入り横たわろうとすると、幼い娘が追いかけるように入ってきて、熱くて少し湿っぽい身体を私のお腹のあたりにおしつけ顔を見上げてきた。
 にしし、とでも言いたげな悪戯な顔をしているので、どうしたんだと尋ねてやると、何も言わずに私の上体を倒そうとする。それに逆らわずおとなしく横になると、枕の感触がいつもと違う。抵抗なく頭が布団のほうまで沈んでしまい、埋もれた耳がなにやらがさごそとくすぐったい。
 枕に何かしたんだな、何これ、と言いつつ起きあがり枕を調べると、中の綿が抜かれて、なんとポップコーンがぎっしり詰まっているではないか。
 どうやら私の枕の隣に置かれた娘の小さな枕も同様にポップコーン枕になっている様子で、食べ物で悪戯をしてはいけない、と叱ろうと娘に向き直るが、娘はわりに真剣な様子で、お菓子の枕で寝るとよい初夢が見られるの、Sちゃんが言ってたのと言いつのるので、私は何も言えなくなってしまった。
 世間に私と娘の二人きりの縁しかない私たちだから、娘がときにさびしさから、すすり泣くような夢を見ていることを私は知っていたのだ。仕方ないな、じゃあよい夢を見よう、と横たわると娘はうれしそうに私の身体に身をすりよせ、ずりずりと胸のほうまでよじのぼりながら自分の小さな枕に頭をあずけ、いつものように意味不明なひそひそ話を始めるのだった。
 それを聴きながら私は眠り初夢を見たのだが、それは幼稚園の制服に赤いお気に入りのポシェットをたすき掛けにかけた娘が、大きなポップコーン製造器の中で楽しげに回転している夢だった。プラスチックの透明な円筒の向こうで、ざらざらと音をたてるポップコーンにまじりながら大はしゃぎで自分の周囲のお菓子を食べつつ廻る娘は見たこともないほどにかわいらしく、私は愛情と誇らしさで円筒にべったりと張り付きつつ手を振っていたのだが、ある時なにかの拍子にポシェットの紐がポップコーンを回している突起に引っかかったらしく、製造器がびりびりと急激に振動しはじめるなか、娘は満面の笑顔のまま身体を横倒しにしてゆき、あっというまにポップコーンの波の中に見えなくなってしまったのだった。
 そこで目を覚ました私は幸福なのか不幸なのかわからぬ初夢にぼんやりしていたが、ふと娘の身体が自分のそばになく、何か細かい粒のようなものが自分の半身に降り積もっていることに気がついた。
 かすかな窓からの光の中、布団をめくってみると、そこにはちょうど娘の身体ぶんのポップコーンが、私に寄り添って寝る娘の形をしたまま積まれていて、触れるとさらさらと崩れ、香ばしい塩の香りだけがほの暗い寝室に立ちこめた。私はなすすべもなく呆然とポップコーンを見つめていたが、やがてとりかえしのない喪失をしてしまったのだという実感が全身を襲い、自分の顔の形が変わるほど涙があふれ出てきた。結局、泣きながら娘のなごりのポップコーンを全て食べ、枕の中まで食べ尽くす以外、出来ることとてなかったのだ。

 それ以来天涯孤独となった私は転々と職を変えながら失われた娘を哀しむ日々を送ってきたのだが、しかしいつのまにか、娘を思い出そうとしても、強烈に脳裏に蘇るのは横たわる小さな人の形をしたお菓子の山の映像だけになってしまった。娘の顔さえ定かに思い出せず、なぜかずっと残っているのは、あの時食べたポップコーンのしゅわしゅわする食感と涙まじりの塩味の記憶だけなのだ。そうなってから何年も何年も経ち、故郷からはるかに離れておそろしいほどの年月を過ごしたあとで、冷たい部屋でこの文を書きつつ、私はやっといま、自分は決定的な間違いをしていたのではないかと気づきはじめている。
 私はもしかしたら、とある大晦日にポップコーンを食べながら眠り、いるはずもない娘を初夢に見た、はじめから天涯孤独の人間なのかもしれない。

※第一回てきすぽ杯に参加し損ねて悔しかったので、お題の「初夢・振動・ポップコーン」で書いてみました。ただし一時間以上かかってます。

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