2012年10月29日月曜日

パス



 先にどちらが言うともなく、晴田と奥山は学校が終わると晴田の家に行き、カバンを置いてボールを持つといつもの公園に来た。
 サッカーの練習をするためだった。 
 
 
 晴田と奥山は小学一、二年生の時同級生だった。そのつながりで、中学に入ってもクラスは違えど、友達として付き合っていた。
 奥山は小学校の頃から騒がしくクラス内でたびたび問題を起こすような出来の悪い子供として学校中で知られていて、晴田はその反対に人見知りでおとなしく目立たない子供だったが、気がつくとなぜか付き合うようになっていた。
 晴田は性格のためかあまり友達と呼べるような者はいなく、二、三人ほどとしか交流はなかった。
 そのうちの1人が問題児と目されている奥山だった。
 奥山は問題児ではあったが、さみしがり屋だったので人付き合いがよかった。
 晴田も人見知りではあったが、一旦人に心を許すと、不用意な言葉や冗談を飛ばすほど快活だったので、付き合いは小学校を出て中学に入っても続いていた。
 晴田はサッカーが大好きだった。
 家が商売をしていて裕福だったので、サッカー関係の雑誌や書籍を大量に買い込み、それを読んでは三菱ダイヤモンドサッカーが見られる東京をうらやましがったり、マラドーナにあこがれてみたり、友人に1人きりでオーバーヘッドキックの練習をしたりしていた。
 しかし晴田は体育会系的な人間関係を嫌ったので、部活には所属していなかった。
 だからいつも1人きりで練習をするしかなかったのだが、パスの練習だけは誰か1人がいなければやりようがなかった。
 そこで晴田のパスの練習に付き合ったのが、同じく部活に入っていなかった奥山だった。
 奥山は小さい頃に交通事故に遭ってしまったためスポーツは不得意な方で、唯一のとりえが長距離走だったが、1人で走っていただけだったので、タイムはいたって平凡なものだった。
 晴田の友人のうち部活に入っていなかったのは奥山だけだった。奥山はサッカーに特に興味はなかったが、晴田のパス練習にしょっちゅう付き合っていた。
 奥山が晴田の練習に付き合っていたのは部活がないからという事もあったが、もう一つ理由があった。
 ある日、二人が小学校一年生の頃、晴田は剣道を習っていて、たまたま晴田の家に遊びに行った奥山が、面白そうだからと晴田の通っていた道場についていたことがあった。
 晴田は真面目に練習をしていたのだが、面白半分で来た奥山は特に興味を持てず、そのうち座って練習風景を見るのに飽き、右手で頭を支える形でごろんと横になった。
 それを見ていた道場の師範が猛烈な勢いで怒り、真っ赤な顔をして出て行けと奥山に怒鳴った。怒られた奥山はしゅんとなって道場から出て行った。
 奥山は晴田には怒られた翌日にその事を学校で謝ったが、晴田は気にもしていなかった。
 奥山は、晴田が行儀の悪い友達を連れてきたという事で師範に怒られたのではないかという事を長いこと気にしていた。
 だから、晴田のサッカー練習に付き合うことで少しでもその時の罪滅ぼしが出来ればいいと、奥山は思っていた。
 晴田たちが小中学校を過ごした時期はサッカーを好む少年が少なく、みんな野球に夢中だった。
 サッカーに夢中になっている人間と言うのは、言ってみれば当時は珍しい存在だった。
 地元に有名なチームがない地域に住んでいたので、余計にサッカーが好きな人間は少なかった。
 むしろ雪の多い地域ということもあって、スキーなどのウィンタースポーツの方がさかんだった。

 
 その公園は高さ5メートルほどの小山があり、冬はミニスキーと呼ばれる、プラスチックで作られた5,60センチほどの玩具を足につけて雪上をすべる遊び場として使われていた。
 雪の時期ではないので、ただ禿山のようにぽつんと佇んでいるだけだった。
 その小山に隣接して草野球ができるくらいの広さのグラウンドがある。二人が来た時もどこかの少年達が野球をしていた。
「あっちでやるか」
「うん」
 二人は野球の邪魔にならないよう、野球少年たちの陰に隠れる形で、小山の裏に陣取り、おもむろに練習を始めた。
 晴田は普段から1人でサッカーボールを蹴っているのでパスは正確だったが、奥山は自分でボールを持っていない上に運動神経もいい方ではなかったので、晴田は奥山が繰り出すとんでもない方向のパスにいつも苦労させられていた。
「ごめーんまたヘンなとこ行っちゃったよ」
「大丈夫だよ」
 奥山は晴田のためにもっといいパスを出したかったが、奥山のボールは右へ、左へと飛んでいく。それを何事もなく晴田が受け、笑顔で奥山に返す。
 その繰り返しが延々と続いた。
 晴田はサッカーをしている時本当に晴れやかで、奥山が出すパスを喜んで受けていた。奥山はとんでもないパスばかり出してしまうので晴田に対し申し訳ない気持ちになったが、そんな気持ちを打ち消してしまうほど晴田の姿が晴れやかだった。
 晴田は本当にサッカーが好きなんだな、と奥山は練習をするたびに思う事をまた思った。晴田は、パスの練習が出来ることをひたすら楽しんでいた。
 パスの練習は30分、1時間と続く。
 晴田は休憩を忘れるほど練習に熱中した。
 サッカーがそれほど好きではない奥山は体の疲れが晴田より先に立っていたが、晴田の晴れやかな表情を見ると、休もうとはなかなか言い出せなかった。
 それでも一時間を過ぎたあたりで、奥山は「少し休もうよ」
と言った。
「そうだね、休もう」
 二人は水飲み場へ行って水を飲んだ後、小山に座って休む事にした。
 二人とも汗びっしょりだった。
「なあ晴田さ、たまには他のやつ入れようぜ。誰かいないかなあ」
「いないよなあ。庄野は柔道部だし、田村は他の学校行っちゃってめったに会わなくなったしな」
「おれも飯島とかに来いよって言ってみたんだけど、他のやつと遊びに行っちゃうみたいだよ。最近付き合ってるやつって言っても、シンナー吸ってたりしてるようなツッパリなんだけどな」
「あいつも昔はあんなんじゃなかったんだけどな」
「内野はどう? 塾行ってるんだっけ?」
「親にきつく言われてるみたいよ。あそこそんな教育熱心じゃなかったんだけどな」
 二人は小学校の頃を懐かしむように、他の友達を引き込むための会話をした。
 二人が通っていた中学校は県立であるにもかかわらず地域内でも名門と言われていた。
 そんな中学校でも、当時まだ塾に通う同級生は少なかった。
 教育に意識的な親を持つ生徒が通わせていただけに過ぎなかった。
 もう受験戦争と言われはじめた時からずいぶんと経っていたが、地方という事もあって、まだのんびりしていた。
「俺らもやっぱ塾とか行かなきゃいけないのかな。貧乏だからなーウチ」
「いいじゃんまだ」
「まあ勉強きらいだし」
「じゃあ、そろそろ始めようか」
 会話が済むと、晴田が促してまたパスの練習を始めた。
 あいかわらず奥山のパスは右へ、左へと飛ぶが、練習の成果が出たらしく、少しずつまともな方向へ行くようになっていった。
「よくなってきたじゃん」
「おまえに、足の横で蹴れって言われたのやってんだよ」
「足の先で蹴るよりいいよ、どんどんやろうぜ」
 晴田に褒められた奥山は機嫌がよくなり、晴田の言うままにどんどんパスを送り込んだ。
 晴田はひたすらパスの処理に熱中した。

 やがて空の色がよどんできた。
 二人が公園内の時計を見ると、練習開始から2時間を回っていた。
「暗くなってきたから帰ろうぜ」
「ああ、じゃあウチ寄る時なんか飲んでいけば」
「あんまり帰るの遅くなると、ウチの親怒るからなあ」
「いいじゃんちょっとだけ」
「んー、まあ行ったら考えるよ」
「うん」
 二人は晴田の家に戻った。
 一軒家で二階建ての、割りに大きな家だった。奥山は低所得者層が集まるアパートに住んでいたので、家に行くたび晴田の事をうらやんでいた。
 晴田が玄関を開けると、晴田の母親が出てきた。美人ではなかったが気さくな母親で、いつも奥山の事をかわいがってくれていた。
「まあ、また義春につきあわされてたの? 大変だったでしょう、あがってジュースでも飲んでいきなさいよ」
「えー、家に帰るの遅くなるんで、帰ります」
「いいじゃん、ちょっとだけだよ」
「でもさあ」
「そう、じゃあちょっと待って」
 晴田の母親は奥のキッチンへ消えたかと思うと、オレンジジュースが入ったコップを手に持って、笑顔ですぐに出てきた。
「じゃあこれ飲んでいって」
「……ありがとう、おばさん」
 奥山は少しためらったが、コップを手渡され、一気に飲んだ。
「おいしかったです」
「疲れるだろうけど、また遊びに来てね」
「はい」
「奥山、じゃあ気をつけて」
「また明日学校でな」
 奥山が帰ると、晴田は表情を消して部屋に引っ込んだ。
 晴田の母親は奥山が帰った後、物も言わず部屋に引っ込んだ晴田を少しだけふがいないと思ったが、そんなふがいない晴田につきあってくれる奥野に心の中で感謝をした。
 母親は友達の少ない息子を常日頃から心配していたので、奥山に強く感謝していたのだった。
 母親は、ずっとこの時が続けばいいと思った。


 結局二人が中学を卒業するまで、他の仲間はサッカーの練習に加わることはなかった。
 中学を卒業すると、二人はそれぞれ別の高校へ進学した。
 その後成人を過ぎるまで、お互いがサッカーの練習をする事はなかった。

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