2012年3月18日日曜日

無計画リレー小説 第六話

【登場人物】
古屋勇太‥‥十九歳。小説家志望のフリーター。祖父の営む古書店でアルバイト中。
美園さおり‥‥十七歳。高校生。勇太の幼馴染で、美園屋青果店の一人娘。
古屋繁‥‥勇太の祖父。古書店を営んでいる。
古屋一雄‥‥勇太の父。
ジェイムズ・J・ジェイムズ‥‥伝説の作家。


 じゅうじゅう。ぷうぷう。
 秋になると勇太の母親がよく買ってきては焼いてくれた、さんま。古書が脂臭くなるといけないから、と、七輪をわざわざ狭い裏庭の隅の方へ持っていって。そうして焼いたばかりのを、勇太たちに食べさせてくれたっけ。あの、少し焦げた皮がまだちりちりと騒いでいるところへ、きゅっとすだちを搾って――。

 だけど、空から降ってきたそれはそんなもんじゃなかった。
 天一面を覆うかと思うような、巨大な影が、鼓膜を突き破るほどの激しい焼き音を、鼻をつまみたくなるほどの強烈な焦げ臭をさせながら……。
「何してるの勇太、よけるわよ!」
 さおりに半ば引きずられるようにして、勇太は大根おろしでできた山の陰にしゃがみ込んだ。途端、ずどおおおおおん、という世界全体が揺れるような轟音と共に、巨大さんまがさっきまで勇太たちのいた場所へ着地する。足元を支えていた硬質な何かが、ビリビリと震えた。よくよく確かめればそれは陶器でできているようで、恐らくは非常に大きな、皿なのだった。
「じいちゃんすげえ。本当にさんまが降ってくるなんて」
「今頃何を言っておるか。来る、と『言った』ら、来るに決まってるだろうが」
「えっそれ、どういう……」
 繁の言葉には、妙なアクセントが感じられた。勇太がその意味をとりかねていると、繁は呆れたように肩をすくめる。
「やれやれ、お前は一雄の時よりも手がかかるな」
 一雄(かずお)とは、勇太の父親の名前だった。彼もまた、古屋の成人の儀を受けてこの場所へ来た、ということだろうか?
 さんまは鋭角に尖った口をこちらへ向けて、湯気を昇らせ身や皮を派手に弾けさせながら、熱い脂を滴らせている。その口は半開きで、縁を鋭い歯がびっしりと覆い、まるで勇太たちを脅しているかのようだ。その斜め上にあるだろう眼球に至っては、もはや大きさを想像するのさえ恐ろしい。
 あの巨人はどうなったろう、と勇太がわずかに首を伸ばして大根おろしの向こうをうかがおうとすると、たちまちさおりに咎められた。
「まだよ、勇太。もう少しだけじっとしてて」
「あ、うん。……あのさ。さおりは何でそんなにいろんなこと」
「おい、お前たち早くこれを被れ」
 繁が広げ始めたのは急な雨の日に軒先の古本に掛ける、透明なビニールシートだった。訳の分からないまま、言われた通りに三人してシートの下へと潜る。巨大さんまはまだ盛大にジュウジュウと音を立てていたが、そのところどころに巨人の野太いうなり声が混ざっているように勇太には思われた。
(こんな透明なシートでは、身を隠すこともできないんじゃ……)
 勇太が不安になった瞬間。バラバラバラッ、と天から大粒の雨だれが降り注ぎ、同時に柑橘の心地好い香りがあたりに満ち満ちる。
(――これは、すだち?)
 恐ろしい悲鳴が聞こえた。
 思わず顔を上げると、巨人がすだちの雨の直撃を受け全身を濡れそぼたせながらのたうっている。剛毛に覆われた腕で何度も目のあたりをこすり、あれほど硬そうだった皮膚も酸にやられたか、焼けただれ幾筋もの血を流していた。
「さ、勇太、さおりちゃん。行くぞ」
「行くって、どこへ?」
 勇太の間の抜けた質問に、二人が振り返った。「いやあね、勇太。まだ分からないの? 大根おろしに焼きたてのさんま、すだちがかかったといえば、次は」
「……食べる?」
「そう! 正解。箸が、私たちをここから出してくれるの」
 そう言っている間にも、尖った二本の柱が突き刺すような角度でさんまに迫ってくる。
「さあ、急いであれにつかまるんだ! チャンスは二度はないぞ」
 言うや否や、繁が還暦過ぎとは思えない身軽さでさんまの腹ビレをつかみ、焼き目を足がかりに急勾配をよじ登り始める。さおりも即座に後に続いた。
「だけど、箸――ってことはさ、出口はまさか、『口』?」
 巨大さんまの口でもあの迫力だったのだ、それを食らう超巨人の口はどんなにか、大きく、力強く、おぞましいほどの咀嚼力で勇太たちを噛み砕くことだろう。
「大丈夫、私たちそこから来たんだから!」
 きびきびと銀茶まだらの壁を登ってゆくさおりの動きに、ためらいや迷いはない。見れば、いつもの美園屋青果店の前掛けの下は、まだ高校の制服のままだった。ミニスカートの下の引き締まった太腿に目が行きそうになって、慌てて顔を背ける。
(こんな時に俺は)
 ――と、目の端に恐ろしいものが映った。巨人が、ただれた腕を、脚を引きずり、剛毛を血でべったりと体に貼りつかせながら、それでも確実に、こちらへ這い寄ってくる。両の目はもう完全にその役を果たしていないようで、けれど巨人にはどうしてか分かるようなのだ。勇太たちの、いや、恐らくは勇太の、居場所が。
「ほら、勇太も早く!」
 さおりの声に引っ張られるように、勇太も登った。べたつく脂に何度も手を滑らせながら、懸命に登った。これ以上さおりや繁の足を引っ張るわけにはいかない。二人を、自分のせいで危険にさらすわけにはいかない。今度こそ、自分で何とかしなくては。
「箸が来るぞう」
「さおり! 俺につかまって!」
 焦げた皮の隙間に足を取られていたさおりの腕を、勇太は無我夢中でつかんだ。そうして三人、巨大な箸と塩焼きさんまの塊につかまって、ぐいっと急加速で宙に浮かび上がった!

(……つづく)

1 件のコメント:

amahika さんのコメント...

(何のプランもありませんが週末位に次を書きまする)